編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks -58ページ目
というコメントを大先輩からもらって恐縮した。

それはよくある挨拶なのだが、

方法・手法というものがアタマをよぎって、ハッとしたのだ。

松本城 (写真は松本城)


ある主題についてのレジュメをマッピングして
「まだ埋めきれてませんが」という断りをつけて送った。

マッピングでなくても「欠番」はよく使う。
空白を発見していくために空白のまま、公開する。

で、この空白を埋めていくのは「一人ではない」
という前提でオープンにする。この前提は、本人にも相手にも、明確には意識されていない。

そこに、〈方法〉が眠っていることがある。

丸山真男的な「学問の型」からすれば「手抜き」であり、
「型なし」ということになるような未完成の状態。
もちろんわれわれがやっていることはもともと、
ペーパーワーク(論文生産)とは、直接の関係はない。

チュートリアルの当日には完成したものを配布することになるが、

先輩のコメントで、ああそういう気持ちで「公開」していたのだ、

ということに気づいたのだ。

空白が生まれる理由は複数あるが、
一つは主題から比較的遠い距離にあるモノが、
喩えれば、外堀にぷかぷか浮かんでいるのが見える。

この喩えで言えば主題は本丸に当たる。

外堀にあるものを保持しながら、本丸へと詰めていくことになる。

今回の主題はヘーゲル。文献は長谷川宏『新しいヘーゲル』。

外堀には、ヘーゲルと同時代の「ドイツ・ロマン派」や、

京都学派の田邊元の仕事などが浮かんでいる。

ロマン派には文学だけではない、シェリングなどもいる。

もちろん、より現代に近いところにマルクスらの青年ヘーゲル派もいる。

本丸から外堀まで広がった網を引き絞っていく。

これを一人でやり切ることはできなくはない。単立の論文やレポートや著作や原稿になる。

そういう単立の「完成」以前の、途中プロセスを公開していくことは、

すでに〈コレクティブ・ワーク(仮称)〉が始まっていることになる。


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