先ほどのツイッター出力を別ウィンドウで眺めながら、
A4シート2枚程度に収まるように編集構成する。
リチャード・ソール・ワーマンが来日したときに実況中継的リアルタイム・エディティングというのをやらせてもらったことがある。もう20年ほど前の話だ。
今のテッドよりも複雑な構成のイベントでの発言・質疑などをインカムで同時モニターしながら、シーンとともにテキストに記録・編集していき、一通りプログラムが完了して来場者が会場から出て来るところで、プリントアウトして簡易製本したものをパンフレットとして手渡しをする。そういうリアルタイム・エディティングだった。もうネットには繋ぐことが出来たのでウェブで拾って来た関連図像や、シンプルな図解も促成したものを加えてあった。印刷に回しても十分通用するレベルのものになっていた。使用したアプリは思い出せないが、横組みにはよく使われた当時のクォークエクスプレスと並ぶDTPソフトだったと思う。
Twitterを使うのは、読んでくれている「読者」がいるからだが、
リアルで先に会っている人が多い。書いて読んで、対面で話せる「読者」だ。
一つのツイートが140字までという文字量「制約」が逆に効いていることも大きい。
ツイッター自体が、すでに圧縮編集装置であり、resumexなのだ。
何よりも、ほぼ同時に読み、読んだ後で再びリアル対面で会って話す、
という前提が上記の実況中継リアルタイム・エディティングに近い環境を与えてくれている。
それが編集意志を支えてくれているような気がする。こうして半パブリックにするのは、
もちろん〈遠方の読者〉が必ずどこかに存在するという事実、からに過ぎない。
さて先を急ごう。和辻哲郎『倫理学』3章5節「経済的組織」は節として長いほうで、
70ページある。
0)前提:第三章表題「人倫的組織」の「人倫」について。
・ヘーゲル「人倫」原語でSittlichkeitを踏まえている。Sitteに由来。Sitte≓儒教概念「礼」に近いとする説も。
ヘーゲルの「人倫」ではテーゼに該当するのが「家族」、アンチテーゼに該当するのが「市民社会」、
ジンテーゼに該当するのが「国家」。「市民社会」のアンチテーゼが「家族」。「家族、市民社会、国家」という共同体のなかで現実化される理性的意志=人倫Sittlichkeitが作動してますよと。
・和辻はこのSittlichkeitを「徳」と読み替え日本的人倫の特殊性、したがって普遍への把手(gripないしearまたはhook)を導き出そうとしていると考えられる。
・但し和辻は「市民社会」という語を一度も?使っていない。また「国民国家」を特殊に措定したと思われる。
・5節に出る「地縁共同体の閉鎖性を超えるもの」=「超部族的共同」は重要。
1)「経済」と「経世済民」と「Eonomy」282-285
2)マリノウスキーの原始贈与と交換様式285-298
3)原始経済をモデルとする労働(ジョブとワーク)と商品と労働組織-近現代「経済学」解体298-312
4)クロ-チェによる経済学批判312-318
5)〈把捉〉と経済学「概念」の犯罪319-325
6)ヘーゲルの功罪325-330
7)人倫的意義の「逆倒」とル・サンチマン330-332
8)「鬱憤の産物(シェーラー)332-339
9)打算社会の問題339-345
10)経済組織の超地域性
11)超部族共同の契機としての「文化共同体」へ―価値逆倒を再び逆倒するために
(続きは会場で)↓