編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks -36ページ目
〈ゴジラは爬虫類ではない。〉このフレーズは1998年のローランド・エメリッヒ監督のハリウッド版『GODZILLA』が上陸した同年に、僕が当時連載していた月刊誌GoodsPress(徳間書店)の記事書き出しの一行だ。一世風靡するフレーズ!!、には残念ながらならなかったけどw 、改めて見直せば一発で明らかだが、エメリッヒのGODZILLAは、ゴジラではなく「ジュラシック・パーク」の延長に過ぎなかった(笑)。



このHppayDragonPicturesによるメーキングドキュメント↑は、比較的そのへんのことをよく理解して伝えていると思う。

ゴジラの命名について、プロデューサー田中友幸氏の夫人が貴重な証言をしているレア映像が挿入されているところもなかなかだ。

初代ゴジラの100キロもあったと言われる着ぐるみによる”スーツメーション”と『キングコング』の”アニメモーション”との比較も、かなり詳しくツッコんでいる。

しかし1954年の第五福竜丸の水爆実験被爆事件など、初代ゴジラが誕生する時代背景については、すでに色々ある他の言及とさほど違いがなく、ありきたりだ。

1998年以来ずっと考えて来たことだが、我が初代ゴジラは反核とか反原子力とか反「戦争の悲惨」などへと、矮小化されるべきではないのだ。それでは――何作目だったか、いますぐに確認できないが――天本英世の台詞「残留思念」という語で、南方で戦死した日本軍兵士たちの死霊までを、ゴジラに包摂しようとした意図も見失われてしまうだろう。

そういう矮小化からゴジラはあくまでもサスペンドされているべきであり、ゴジラはあくまでも自己撞着し続けるべきである。

あの鈍重なスーツメーションのように、「容易に動けない」存在と言い換えてもいい。(続く)

PS.

〈ゴジラは爬虫類ではない。〉と書いた当時の、十数年前の草稿メモが出てきた。資料に使った文庫本の余白書き込みだ。

 「ゴヅィラとゴジラ。ゴジラはアメゴジによって完全な記憶と化した。制作陣の人為によってカワイくなったゴジラは、仮想のバイオテクノロジーの成果でもあった。自然の進化の時間を超えることができたのが、円谷英二の技術だったのだが。アメゴジは進化しない。というより、その変わり映えを、もはや誰も目撃できない。(1998年6月、日付不明)」

上のHppayDragonPicturesの動画は2013年3月に公開されたものだが、実は今年公開のハリウッド版GODZILLAのプロモーションにもなっている。後で気づいた。