以下は例によって、Tweetを〈寄せ〉て記事構成するための添付。深層の主題は「誤解」、それも創造的「誤解」もしくは「誤聴」であることに今し方気づいたわけですが、それは表向きにしないでまとめる予定。
〈プラグマチックな現在〉には、いわゆるメンタル・モデルも含まれる。
posted at 00:25:41
〈プラグマチックな現在〉を逆手に取れば今(現在)から例えば50年前という、その時間のレンズ差分を自らの論調に繰り込んで物ゆってんのか、そこんとこどうなんだっていうツッコミにもなるわけ。やたら過去の資料ほじくり返して、鬼の首取ったような気になってるとしたらそりゃ逆1984だろってね
posted at 18:37:37
でオイラが言ってる〈プラグマチックな現在〉はたんに否定的なものでなくむしろ担保され、そこからしか出立しようのない事もある。例えば靖国参拝。戦場で肉親を亡くした人々にとって墓参に近い習俗となっているのは、まさにプラグマチックな現在である。これをむやみ否定しさることは誰にもできない。
posted at 17:43:53
暖衣飽食の現在(これは別に悪いことではない)でもあるプラグマチックな現在。暖衣飽食は山本七平が戦場を語る視線についてよく枕に使う四字熟語だが、ヴァレリーが古典について「連想」収拾的とか言うときの視線も、これ。しつこいが、暖衣飽食が悪なのではなく、そこに無自覚な言論への掣肘枕。
posted at 16:54:23
インテリの水準(インテリ度ではない)にとって重要なのはその喫水線としての〈プラグマチックな現在〉。長谷川宏と鶴見俊輔のヘーゲルめぐる対談で鶴見が典型的に示した態度のことをオイラが勝手に名付けた。で、この現在はごく汎通的であってスタートとしての必然を体現する。問題はそことそこから。
posted at 16:41:30
長谷川宏さんと鶴見俊輔さんの対談のコピーは手元にある。
深層の主題は、この対談の内容の片鱗を、長谷川氏の講演会場で「聴いた」ことに始まる。
対談のコピーは、講演のずっと前に長谷川宏『新しいヘーゲル』の”読み先案内人”を仰せつかった時に、入手したものだが、よくは読んでいなかったのだ。
(続く)
講談社
