(この記事は《和辻哲郎と京都学派》の括りで、ヘーゲルを読むワケ(1)|編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorksの続きです。)
もう時間がないので、はしょってメモると、ヨーロッパ哲学の近代的問題図式〈主観-客観〉の認識論的問題は、18世紀のカントがひとまず主観的意識内部に収めたはずだった。そのぶん、カントの「理性」などの概念は比較的クリアなものになっている。
ところがカントから半世紀を経てヘーゲルの、とりわけ今、共読テキストにしようとしている『歴史哲学講義』になると、「理性」「精神」「摂理」などの語彙がカント〈以前〉にあたかも戻ったかのように放たれているのに気づく。
主観と客観の「一致」ではなく「統一」。もう一歩行くと、神秘主義の「合一」と呼んでもいいような文脈でこれらの語彙を多彩に使ってヘーゲルは講義をしている。
年代的には、1822年から1831年まで。いきなり視点を〈歴史空間〉に移すと、ヘーゲルは1810年に創立されたフンボルト大学ベルリンで1818年から教授を務め、1830年には総長になっている。この講義は、ほぼフンボルト大学時代と重なっている。
このフンボルト大学の歴史的経緯詳細は省くが、ウィーン大学、ハイデルベルグ大学など〈中世〉以来の大学の伝統を脱している。つまり早回しに言うとヘーゲルを理解するには補助線として、中世〈神学〉、そして降ってプロテスタンティズムの興りと、キリスト教との関係を押さえておいた方がいい。
そこをはしょって暴言しておくと、少なくとも『歴史哲学講義』に目を晒す限りでは、これは「神学の近代的拡張」と言ってよい。これはしかし、ヘーゲルに対する非難難詰ではないので誤解のないように。
欧州ドイツ哲学に限って見ても、穏やかな、あるいはジェットコースターのようなストレートな流れで「近代」が成立したわけではない。このことがヘーゲルを見ると実感される、とひとまず言っておこう。これを僕は《ヘーゲルの捻転》と呼ぶことにした。
ああ、もうやばい。時間だ。例によって、本日の共同プロジェクト、喋りまくりでしのぐことにする。乞うご期待!
≪終わってしまう前に、終わらせよう≫☆「災後」に読む和辻哲郎☆主催「中野・坊主バー」+企画「編集意志3.11」editing will発刊準備室
ああ、それでも『歴史哲学講義』のなかから、《和辻哲郎と京都学派》という括り、そしてここに書いたようなプロブレマティックを念頭に、拾うべきフレーズはレジュメにすべきだろう。少なくとも付箋は入れておくべきだろう。急げ!、オレ