posted at 19:28:50
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex2】公共性の欠如態としての私的存在→家族(二人:夫婦,三人:親子,同胞:兄弟)→親族→地縁共同体→経済的組織[←今ココ]→文化共同体→国家。[この延長はヘーゲルの「家族・市民社会・国家」を踏まえているが、和辻はヘーゲリアンではない]
posted at 19:37:23
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex3】元来「経済」という日本語は、「経世済民」を意味しているが、今日の「経済」はpolitical economy、politische Oeikonomieなどの訳語。和辻は「オイコノミー」の思想伝統を示していることを強調する。
posted at 20:30:31
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex4】oikonomiaは家を統制すること=「家政」。これは世や民に関係する概念ではなくむしろ節約などの意味で「経済的だ」と使う意味に近く「経世済民」の概念には含まれない。national economyを国民経済と訳すのはおかしい。
posted at 20:39:29
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex5】オイコノミアは本来「家政」を意味し「ポリスのオイコノミア」に着目して初めて「経済」の意味が生まれる。「経済をさらに根源に遡ればそこには「家政」がある。それは家族の組織に密着したものであって、独立の経済人などの棲息場所ではない」
posted at 20:50:59
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex6】古典経済学のロビンソン経済に取って代わりうるモデル=マリノウスキー『西太平洋の舟乗り』に記述された〈原始経済〉。和辻は触れていないが、ロビンソン・クルーソーモデルはマルクスも『経済学批判要綱』で「錯覚」として却けている。
posted at 21:01:56
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex7】原始人(土人)はのらくらとした怠け者ではない。しかし、直接の需要に対応して、やむを得ず労働する、というのも事実ではないことをマリノフスキーは実証した。合理的には剰余に見えるものは贈与である。
posted at 21:14:03
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex8】「原始人が自利というごとき純粋な経済的動機によって行動するなどということは、途方もないでたらめである。」(和辻『倫理学』第二分冊 p287岩波文庫)「己れの利益ではなくして、芋のできばえに対する賞賛や批評、すなわち「価値づけ」」
posted at 21:20:46
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex9】「組織された労働は必ずしも共同労働ではない。社会的にも経済的にも、また技術的にも〈異なった〉要素の協働、それが組織的労働である。」(和辻 p290)
posted at 21:26:21
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex10】マリノウスキーが見出した土人(土着の人)の貿易現象「クラ」(p292)
posted at 21:29:58
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex11】「一層驚くべきことは、この原始貿易の現象がいわゆる「欲望」に基づいて行われるのでなく、むしろ部族間の〈交際〉、すなわち土人にとっての〈世界交通〉の実現として行われるということである」(p292)←生産様式+〈交換様式〉の重視。
posted at 21:35:53
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex12】 〈クラ仲間〉
posted at 21:47:44
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex13】「職人は己れの手工芸において〈職分〉を自覚し、この職分に堪え得るように技術の錬磨に努めた。技術の練達はしばしば彼の労働にポイエーシスの性格を与え、生産活動を自己目的的たらしめた」p322岩波文庫
posted at 22:12:55
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex14】「が、近代産業の発展とともに経済の大勢を支配して来たのが大量的な商品生産であることは否むわけに行かない」P323
posted at 22:20:30
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex15】営利は究極の目的なのであるから(そのような「見方」の勝利なのだが)己れのために有効なものはすべて手段として用いる。人倫的なるものも有効である限り手段化されざるを得ない。(p325)
posted at 22:27:34
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex16】和辻は30年代既に人倫的意義が単に見失われている以上に意義「逆倒」しているとした。逆倒は単に元に戻すとか欠落を充当するとかの次元を超えていることを意味する。「正そう」とすること自体逆立であり逆倒を逆に確立する。今とそっくりだ。
posted at 23:06:45
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex17】和辻は価値「逆倒」実感をRessentimentルサンチマンで解く。Re→「再感、反復感情」。「高い価値ほどはなはだしく貶され、低い価値ほど持ち上げられる」。これが反復され価値逆倒が固定、倒立像が正立像と見える事態が常態化する
posted at 23:28:52
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex18】和辻はいわゆる発展段階論の段階の一つとされるような資本主義は、「見方」というさりげない言葉で否定している。
posted at 23:44:58
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex19】ヘーゲルは人倫喪失を経済学の「見方」の問題とせず〈経済社会のあり方〉の問題としたので経済社会の本質的人倫的な意義を発揮するための所有権保護=「司法」や生産消費関係統制=「警察」等を経済社会の発展段階として認めざるを得なかった。
posted at 23:55:01
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex20】「鬱憤が、すりかえをやったのである。」(和辻によるシェーラー要約の一部)
posted at 00:02:47
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex21】シェーラーの価値逆倒論を和辻は全面的には承認しない。和辻が注目するのは「技術」の価値逆倒との関係だ。逆倒をもらした経済的発展は技術進歩に支えられているが、技術は価値逆倒とは独立の事象と見る。
posted at 00:21:10
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex22】すなわちそれは「思想の産物」なのであって、現実の人間存在なのではない(和辻のテニエス「打算社会Gesellschft論」補足)。「経済学」の「見方」が触媒的に「社会」をそのように経済学的に「あるかのように」仮構してしまった。
posted at 00:38:53
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex23】経済学的見方における経済社会(p340)
posted at 00:57:48
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex24】欲望人あるいは経済人が仮構人であるのは言うまでもない。それは仮構的な社会の仮構的な住人なのだ。かかる仮構の上に交通が発達し世界が一つの市場となり、無数の商人がもうけのために狂奔しているとしても打算社会の仮構性は失われはしない。
posted at 01:02:16
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex25】1930年代の和辻哲郎の『倫理学』には、今日の〈マネー〉の問題は無論登場しないが約80年前の「経済学」と今日のそれが本質的に何も変わっていない事、和辻が言う応用数学としての経済学=計量操作だけが作動していることを確認できる。
posted at 01:17:45
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex26】和辻哲郎・倫理学のこの5節を読んでいると柄谷行人の『世界史の構造』を連想する。柄谷はこれを下敷きにしたのではないかと思えるほど(笑)。それはともあれ着想において先駆しているのは確実。グイグイ引っ張る力も格別。この差異も主題。
posted at 07:48:08
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex27】この5節に限らず和辻の『倫理学』は全体に〈主体の解釈学(ミシェル・フーコー)〉であるとも言える。再解釈学的現象学というか。倫理学というタイトルは、ずいぶん損をさせているかもしれない。しかしそれは国語の時代水準、市場の事情である
posted at 07:59:06
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex28】「土人」について。これは戦前まで普通に使われた用語で僕は「土着の人」と読む。革土同(革命的土人主義者同盟)を構想したこともあるw。冗談さておき「先住民」という言い方もおかしい。誰より先なのか。その誰は明らかに欧米列強である。
posted at 08:10:09
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex29】「経済」という日本語が「経世済民」を縮約したものとすれば「家政」を原義とする欧米語Economyをイコール「経済」と訳すのはおかしい。これはまあ、和辻流の半畳の入れ方だ。「経済的組織」はニアリーイコール「経世済民的組織」である
posted at 08:21:39
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex30】和辻の〈人倫〉の意味とヘーゲル人倫解釈。〈把捉〉おそらくComprehensionの明確化。具体物取り違えの誤謬を科学と僭称する「経済学」。人倫的価値逆倒を再逆倒する方途は何か? 〈超部族的共同存在〉から6節「文化共同体」へ。
posted at 08:39:13
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex31】注意。和辻の〈超部族的共同存在〉の「超」は「地縁共同体の閉鎖性」を「超える」の「超」。丸山真男の「超国家主義」という用語、チョー迷惑w。真逆の「超」だ。
posted at 08:43:49
池田信夫さんをミュートしたけど、考えて見たらオイラが先にブロックされてたんだった(爆)
posted at 08:55:16
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex32】参照系01:テンニエス。最近はテンニースと表記したりするのか。F.Tonnies(oはウムラウト)1855- 1936。ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトはガキの頃から使い出ある概念と思ってたが和辻は情誼社会/打算社会と訳した。
posted at 09:12:07
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex33】参照系番外:〈把捉〉という語がこの節で頻出。経済学の「概念」に対抗するっぽい。ひょっとしてホワイトヘッドの〈抱握Prehension〉に近いか? 和辻にホワイトヘッドは出て来ないが、近く接した京都学派の田邊元らは言及している。
posted at 09:28:36
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex34】余談。この節読むと「経済学」は「軍備」と同相に見えてくる。とりあえずの破綻を避けるために、何か大切なものを先延ばしする。これじゃまるで白蟻の生活じゃないか。白蟻には外敵の侵入を防ぐだけのために生涯、穴を塞ぎ続けて終わるのがいる
posted at 09:40:12
【『倫理学』3章5節「経済的組織」resumex35】余談補足。「軍人」さんと「軍備」は、まったくの別物だからね。そこんとこ、よろしく。
posted at 09:52:25
【飲み屋で読み会】:和辻哲郎『倫理学』第30回 岩波文庫第2分冊3章5節「経済的組織」、本日午後2時より。★ご来店お待ちしておりますm(_ _)m ★ MT 中野・坊主バー店主|オフィシャル・サイト nakano-vowsbar.com
posted at 10:00:01