タイトルは、偶然によっている。ツイッターのタイムラインに、ジル・ドゥルーズの言葉が流れて来たのを、たまたま捕捉したのだ。
アタマのなかに構成が浮かんでいたところへ、ジル・ドゥルーズのインタビュー標題が飛び込んで来た。これだ!と思った。
”ジル・ドゥルーズ「絵画はエクリチュールを燃え上がらせる」に寄せて”
カラーパーティは武蔵美の基礎デザイン学科という一風変わった学科のOBが毎年一回開催している。油彩やアクリルなどのタブロオを出展する人もいるが、いわゆる絵画展ではない。色をめぐるダイヤグラムや、オブジェ、冊子、立体などなど多彩だ。
だいたいこの会の発起人で中学時代からのともがらである人物は、高校の時には合唱部の部長をやり、ピアノもよく弾いていた。てっきり音楽系に進むものとばかり思っていたら、後に武蔵美の研究室にいる彼と再会して驚いた。音と色と文字とコレスポンダントな研究をやっていた。エディトリアル・デザイナーとして活躍しているOBも多い。
そんなこんなで編集工学と相性がいいのだ。友人のデザイナーで「画伯」である山口喜造さんも去年から作品を展示するようになった。
これはこれで、けっこう自分にとってはスリリングなのだ。アートとデザインとエクリチュールのアートにアクセントのある人物が身近にいることで、僕のボードはいい意味で刺激され、緊張するのだ。

【山口喜造↑新作「Pink Skall & Black Saddle」を含むポートフォリオの見開きからなので、ちょっと見えづらいが、この新作が展示される。】
”ジル・ドゥルーズ「絵画はエクリチュールを燃え上がらせる」に寄せて”は、
どちらかというと基台は「板」だが、お澄まししていえばプリントされた「短冊」のようなもの。
だが、けっこうテキストとヴィジュルの複合プロセッシングへの大きな契機を孕んでもいる。
〈書く〉ことは音の制約イコール自由の中にあり、
〈描く〉ことは、おそらく沈黙の中にある。
そしてエクリチュール(書く/描くこと)の零度に、
同じ沈黙が立っている。
(続く)