国家と社会の「分割線」を描いてみた。―社会は、どこだ?(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

この分割線は、領土・領海線・国境線のようには視覚化できない。


というよりも、そもそも国境(線)は、数学上の線のように幅も厚みもないものとして観念されている。


国境地帯はあるが、どこまで行っても「線」は存在しない。


線が視覚化されるのは、「地図」上のことだ。


とくに「人為的国境」は、まさにそれで、「条約、経線、緯線、道路、民族」などの人為によって人工的に定められたものに過ぎない。アフリカの直線的幾何学的な国境線には、民族さえ考慮されてはいない。


わが列島のクニ境ムラ境と、国境の意識は、伝統的に山脈、河川、湖水、海洋などの自然物によって定められた「自然的国境」意識と言える。


もっと言えば、生物・生態系を基盤とする「棲み分け」の記憶さえ、そこに発見できるかもしれない。



編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-国家の半径



尖閣はどうか?


そこには、中国帝国主義のチンピラ的イチャモンづけ以前に、日本と沖縄の分割線が存在する。


台湾と沖縄との分割線もある。台湾から沖縄に向かう航空機は今も「琉球行き」だ。


分割線は、人々の行き来を妨害するものにはなっていないし、紛争もない。


と、以下展開は、


風邪が脱けるころに再開することにします。


社会はどこだ?についても。