うっかりしていたが、こないだのグーグルdoodleに登場した南方熊楠 は、命懸けで熊野の森と杜(もり、神社)を守ろうと、明治政府に体当たりをかけた人物でもあった。
今夜のNHK「歴史秘話ヒストリア」は、そこをクローズアップしてくれていた。
明治政府が神仏に関する「政策」でまっさきに思い出されるのは「廃仏毀釈」だろう。
廃仏毀釈は、文字通りには「仏教寺院・仏像・経巻を破毀し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃すること」などを言うが、明治政府の通称「神仏分離令」が、結果的に仏教排斥をもたらすことになったことを指す。神宮寺などから仏教的要素が排斥されていき、神社、神道が重く見られることにつながって、清沢満之 らは、この「仏教の危機」への意識をバネに、西洋の哲学に取り組むことになる。
しかし熊野の森と杜の破壊も一方で明治政府によって行われたことは、うかつにも忘れられがち(「神社合祀令」。これが昭和の「国家神道」につながる礎石となったかどうかは、別途おさらいする必要があるけれども)。
要するに明治国家は、神々への信仰・信心などの一切を不要のものとして切り捨てようとしたと見ることもできるわけで、福沢諭吉の姿勢に代表される文明開化、近代合理主義の国家的な強行策が行われていたことになる(これによってアジアのなかで唯一、欧米列強に蹂躙されることがなかったという見方もあるけれども)。
なんにせよ要するに「廃仏」だけでなく「廃神」も同時に行われていたということは銘記しておくべきだ(古代、記紀編纂の時代から始まっていたことの近代的再現と見ることもできる)。
もちろん、そんなもので人々の信仰、超越的なものへの畏怖の念が根こそぎにされたりはしなかったはずだが、時代が下るにつれ、どうやら明治以来の「国家意志」は、ついに端々にまで浸透しつくしたと言えなくもない。
昨年、熊野・那智を襲った猛烈な破壊的台風を、近代以降の日本に対する天罰ではなかったかと思いたくなるのも、あながち妄想ではないかもしれない。
もちろん、そこに住まう人々への地域的な罰などではない。歴史への、ということはわれわれ一人一人すべてに対する警告、いや、天に唾する近代という名の「国家意志」に対する天罰、と見ることはまったくのナンセンスとは言えない。
そういうば護国神社の大鳥居も戦後に作り直されている。戦中、武器製造の材料とすべく潰されて供出されたからだ。
日本という国家は、どうも「いざ」というときになると、神も仏もない逆上をやってのけるらしい。


