雲と花との告別--吉本隆明1945年5月 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

これによって諸氏に告別せむとす お元気で


雲「俺達は俺達自身を淋しいと思ふだらう 光のやうに遠い円い空を渡るとき 俺達は朱色に染つて駈けて行くのだ だれよりも俺達は強く燃えてはゐる 又だれよりも高いやうな気がする けれどそれが如何したと言ふのだ そんなみつともない満足だけではおれは淋しくて淋しくて仕方がないのだ 一そう真蒼な五月の空の真中で 淡い蒸気のやうに消えて行ったあいつの跡をゆきたいと思ふのだ 俺はもう都会を去って無限の旅へ行かうとする 淋しいことだもんな」
花「おまへの言ふことは俺の言ひたい事でもある 明るい色や匂ひがおれにはあると思ふだらう けれど おれのおろおろした善意の蔭では どんなにか自虐や淋しさがあるか知らないのだ あゝおまへはいゝな おれが頭ばかり無方の空の方へ走り何か遠い季節の匂ひを憧れてゐるとき 又何も知らない奴の愚かな賞讃をさびしく嚙みしめてゐるとき おまへは自由に北や東や西の方の明暗こまやかな空を渡って行くのだ」
雲「いゝや おまへはさすらふことの悲しみを知らないのだ お前はおれが意味もなく黙って旅にさすらふと思ふだらう けれどそれはほんたうは嘘なのだ おれたちはどこまでもどこまでも考へてゆくと もう何も言ひたくはなくなるのだ 誰がどう言はふが悪い奴などはこの世にはゐないと思ふやうになるのだ 誰の言葉でもそれはその立場ではその通りだとすれば もう黙ってゐるより外には何も出来ない おれはもういろいろな事で頭がいつぱいだ 浅間の山や軽井沢の高原の白樺のあたり霧いっぱいこもったとき おれが頭の中のものを吐き出して泣いてゐるのだと思ってくれ」
花「あゝ お前は淋しさうな顔をしていはいけない おれたちは誰でも自分がいちばんつらいと思ふだろう けれどほんたうは誰がつらいかわからないのだ 明るい色をふりまいてゐるおれたちの間でも おれと同じさびしさを抱いてゐる奴は十指に余るだらう リンゴの花の淡い香りでさへが たまらない宗教の匂ひであることをお前は知ってゐるだらうか」
雲「おれはともかくも ひとすぢのみちをゆくだらう 蒼い深い空の果てに おれが西の方へ走って行くのを見たら おれはみづいろのネハンの世界を求めて行くのだと思ってくれ 又東の方の日輪のくるくる廻ってゐる辺りに おれが蒼白い曙の相をしてゐるとき おれは おれたちの遠い神々を尋ねてゆくのだと思ってくれ」
花「おれはこの季節が終ればもうこの世界から別れやうとする おれはおれの生まれたところで死なうと思ふ この宇宙があるかぎり この季節になると おれのゐた茶暗い土からは 生まれてくるものがあるだらう 誰が何といつてもそれはおれの再生ではない 誰か見知らぬ奴なのだ けれどおまへが 何日の日か その上に戻って来て 雨を注いでくれたら 矢張りおれは嬉しいと思ふ おれたちは結局すべてのものの幸のために生命を捨てるのだ」
雲「そんな悲しいことをいふな おれたちは生きてゐる限り どんな淋しささへも 喜んで味ひながら どこまでも真実を求めて行かうではないか おれたちはみだりに肯定や否定をしないキゼンとした魂を きつとあの蒼い空のむかふから摑んで来やうとする あゝけれど おれが巻積級の空のあたりで 魚鱗のやうに 真紅に燃えてゐるとき 人は旱天だと言つて面を外らすだらうな」
花「おまへこそ そんな悲しいことを言ふな 生きてゆくために互ひに争はねならないならば おれたちは眼をつぶって祈りながら それでもキゼンとして行かふと思ふ あゝ黄昏が近づかうとしてゐる おれはもう 霧の中で寝やう さやうなら」
雲「おゝ ではおれも別れの礼をばしたいと思ふ おれはしばらくは 日本アルプスの辺りにふるさとをおいて そこら一面の尖つた頂きや くすんだ連山の間に おれの祈りをひろげて行くだらう もし雷鳴や電光がおまへの体をゆすぶつたときは それは おれの巡礼の鈴の音だと聴いてくれ ではさやうなら すべての花の上に幸あれ」



1945年5月、講義もほとんど行われていなかった状態の現東京工業大学の学生として勤労動員の決定を受けた当時20歳の吉本隆明が同窓生に送った封書に同封された詩稿。思潮社の『吉本隆明全詩集』では、第IV部「初期詩篇」に収められている。


どこか宮澤賢治を思わせるとともに、ほとんど出陣に近い青年の死へのためらいと覚悟の調律をうかがわせるものがある。


旧仮名遣いもあって「写経」に一時間ほどかかった。


僕は、こういうものを「戦争詩」と呼びたい。「総力戦戦時下に表出された詩」。戦争を褒め称えているものを含めてもいいが、読めば歴然とした違いは誰の目にも明らかになる。戦争を肯定するか否定するかではない。少なくとも上の詩は、戦争で死ぬことを肯定している。肯定であれ否定であれ「詩」であるか否かだけが問われる。そして、それを問うことがそのまま倫理を問うことであるような論理(美学aesthetica)はまだ確立されていない。


同時にそれをどう呼ぶかはさほど問題にならない。「戦争と平和」や「戦中と戦後」では見えにくくなってしまうもの、「現在も生きられている」ものとして在るものを内在的に透視するためには「戦争」という分かりやすすぎる言葉が、かえって邪魔になることもあるのだ。


「戦時下の表出史」に向かうことは懐古などでは断じてない