ヘタレ戦後左翼運動史をヘタレ死に損ない団塊オヤジどもから奪還する? | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks
今ではどうなってるかよく分からないけど、

少年というのはたいてい昆虫が好きだ。好きだった。

でも、彼らが昆虫の「標本箱」を、どう思っていたかは、はっきりしない。

自分の記憶をたどっても、蟻の巣と遊んでいたこと、鬼ヤンマに糸トンボを食わせたこと(ゴメンね)など動きのある光景しか思い出せない。

それが「社会」や「環境」にどんな「影響」を及ばすか、どんな「権利」を「行使」したことになるのかなんて、考えてもいない。いわんや「破壊」だなんて、とんでもない。

「動物は世界の内に、水の中に水があるように存在している(バタイユ)」

そういう「聖なる動物性」を生きることができたのだ、少年は。
さて、

なんで昆虫、それも標本箱を持ち出しかというと、結局「党派性」というものをインサイトに、人が何度か脱いでは履き替えるパンツというものの匂いを嗅ぎ回って自己陶酔しているという恰好の、どうしようもない本を買ってしまったから。

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名前を挙げてもいいが、相手にするのも汚らわしので挙げずにおく。書名も著者名も挙げず、内容を「横領」することにする。いわばソフトな焚書坑儒だ(爆)

どいうかそもそも「横領」というのは、このオヤジが、この本のなかでしきりに使っている語だ。そもそもこの腐れ本のタイトルに、いわゆる「知の巨人」の名前を「横領」して販促に使っているのだから、開いた口がふさがらねえ。まんま、口が裂けてしまいそうだ。

昆虫標本には申し訳ないことだが、こういうクソな本の出来上がり方ってのは似たものがあって、要するに、その「時点」で何を言い、何をしたかという「時制」をピン留めして、あたかもその人々が、今に至るまでパンツを履きっぱなしであるかのような虚構なしには成立しない、そういう構成になっているわけ。

一生同じパンツを履き続ける人は、いない。で、もっとひどいのは、おまえはその時、どんなパンツを履いてたかという「立場」をまったく鮮明にすることなく、こういう本を書く恥知らずなのだ。

こういうのを自分を「カッコに入れる」などと言ったりするが、どうもそのことを作為してやってるようで始末におえねえ。

まあ、ほっとけばいずれ死ぬ。だけどお祓いが必要だ。

二千数百円の本代を奪還するくらいでは済まないのだ。

で、露払い動画と。




右側で英語でしゃべってるのは、たぶんチョムスキーだと思う。

髪黒々でまだ若い。フーコーはずっとスキンヘッズなので、不確かだが、

たぶん30年くらい前の座談だろう。