北朝鮮は、1953年の朝鮮動乱休戦以降、「戦争」を遂行していない。
もちろん韓国への砲撃や、魚雷発射、ミサイルの試射、民間機爆破、核実験などを続けてきてはいる。
これをブッシュにならって「テロ」というのは簡単だが、
簡単なことをしたくない。
米第七艦隊は、湾岸、イラクまで遠征し、フセインをテロった。ピン・ポイントで1ターゲットを屠るだけの戦闘能力を発揮できることは世界が認めている。
仮に北朝鮮にUSA国民の一人が拉致されたとする。米軍は有無を言わせず、海軍特殊部隊シールズなどを出動させる救出作戦を実行するかもしれない。少なくともそういう世論は起こるだろう。
しかし一度は悪の枢軸として名指した北朝鮮に対して米国はアラブ諸国に対するほどの敏捷性を示したことは朝鮮動乱以降、皆無だ。
理由のひとつは、朝鮮半島には石油が乏しい。米国にとって経済的なメリットは何もない。軍を動かす経済的利得はゼロなのだ。
皮肉なことに北には天然ウラン鉱は豊富だと言われている。北朝鮮が核に執着するのはいったん装備してしまえば、核がもっともローリスクハイリターンな兵器でありうるからだ。計算合理性という意味では小学生にもわかる「正しい」選択ということになる。
「軍事パレード」は、近代国家であるかぎりあらゆる国が「常識的」に行っていることだが、「核」に「希望」を見出そうとする北朝鮮にとっては、独特の意味があるだろう。もちろんかの国に固有というものではないけれども、あの「隊列」とくに「方陣」は、古代にあっては実際の戦場で組まれる隊列として存在した。あのかたちのまま進軍し、交戦したと言う意味で、それは文字どおりの「陣形」につながるものだった。
近代戦で、あの隊列が戦場に現れることはありえない。いまでは陸戦歩兵の動きは「隊列」ではなく、「散兵」と呼ばれる。飛び道具が主力だから、兵は散らしたほうが被害を最小化できる。「隊列」を組んだまま戦場を前進するなど近現代戦ではありえない。
互いの首都を狙い撃ちする核ミサイル戦では、歩兵による陸戦自体が意味を持たない。
しかし軍事パレードは、「隊列」なしに構成することはできない。マーチなどの「音楽」と並んで、欠かすことのできない構成要素だ。プロパガンダの、と言ってもいいが、それだけではないだろう。
「隊列」は準模造的な宗教的イコンの一つと観ることもできるので。これはそれほど突飛な話でもない。
「宗教」re-ligionという語の成り立ちにヒントがある。
(続く)
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