或る巨大な全集の一行に、
「2002年」という文字に始まる書き込みが行われた。
どうやら書き込みされたその長編詩の成立年が、
政治的文脈から自由であったかどうか
を疑うという意味の書き込みらしい。
しかもその書き込みは、
その詩の作者自身によって行われている。
それが殺そうとするものが、作品よりも、
もしそれがそれを湛えているとして、
詩
であるならば、それは書き込みから擁護されなければならない。
しかし、作品の外にある
挿話(エピソード)の一つに過ぎないのなら、
つまり主題を蚕食するほどの挿話でないのなら、
取るに足らない。
主題を蚕食するほどのエピソードたり得るのであるなら、
そこにチャールズ・サンダース・パースの
「解釈項インタープリタント」を繰り出して、
解釈項の織物を編み続けていけばいいだけなのだから。
そういう夢を見た。
もしこれが、絵画(タブロー)への書き込み、
であった場合はどうなるのか?
それはまったく主題から離れた挿話、エピソード、事件、に過ぎないと言えるのかどうか。
確実なのは、解釈項を繰り出す余地はない、
ということだけだろう。
言葉は内部的に毀損しやすく、絵画は外部的に毀損しやすい。
老いた吉本隆明氏が、朝、
体をいたわりながら静かに起ち上がろうとするところで、
この夢は途切れた。
PS.
この夢の誘因となったとおぼしき本の数冊