ドット.スラッシュと句読点 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

まだこういう浮いたテーマ「書くための編集技術」などについての記事は、あまり自分でもすっと腑に落ちてこない感じがしますが、約10ヶ月ぶりのメモ。


Web3.0時代の文房四宝 の続き、ということになりますか。


htmlにいつも触れていたり、サーバーにファイルトランスプロトコルをすることが多い人は、気付かれることがあると思いますが、URLやソースの記述にはドットとかスラッシュがかなり活躍します。


.とか/とか、言ってしまえば見た目はなんの意味もない、ゴミのような記号が、「意味」の生成に繋がっているという話です。


幸い?日本語の文章には(と言っても明治時代以降ですが)、「句読点」というものがある(俳句には、切れ字など記号化一歩手前の、見えない句読点がもともとあるとも言えますが)。


これと近い働きをしているのが、.とか/とかであることに、打ち込みのスピードを緩めて眺めていると気付きます。


ウェブサイト、ページの構成というのは、本の目次に近いものがあるし、アウトラインプロセッシングのアウトラインの構成そのものであったりします。


残念ながら、ツリー状の階層構造なので、入れ子状の複雑な関係を表すのは無理ですが、まあ、文章、言語がそもそもそういう構造を持たざるを得ない。なので、思いついたことを書き出してみると、考えていたことのすべてをどうもカバーしていないように思えたりするわけです。


ともあれ、.とか/とかを句読点とニアリーイコールなものと見立てることで、紙とウェブを一気通貫につなぐシステムができなくもないなと。


より視覚的に言えば、とかは、パソコン上やサーバー上の「フォルダ構成」の句読点のようなものです。


自然言語の連綿体に、句読点を付けた日本人ですから、クライアント―サーバ・システムをつなぐような「ライティング」を構想すれば、「発想」と「発行」の同時性をよりスピーディに実現することができるかも知れません。


少々かたい言い方をするなら、意味と構造の同時性。


もしくは「タグ付きの思考」。


メタ付きの書くこと、とかいうとますます分かりませんね(笑)


しかし、多くのコーダーさんや、仕事でなくてもhtmlを触ってコンテンツを形にして、ブラウザに表示させる作業をしているとき、誰でもそういうことをやっています。


Wordで普通に書いたものをhtmlで吐き出すこともできるのに、Wordが吐き出すコードは綺麗じゃないから、という以上に、タグ付きライティングをやることで生まれているものを、取り出してみたい。


ということでもあります。



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(続く)