「再生可能エネルギー」買取法案と「脱原発」は、なんの関係もない。 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

電力の「安定供給」ということが大前提であるかぎりは、

エネルギー政策の選択肢としては成立するはずのない「二択問題」が、原発震災以降の国会で審議され始めた。


いや、あたかも「二択」であるかのように「見せかけ」たかたちで始まったというのが正確。


これはちょっと冷静になって考えると、すこぶる奇妙な光景だということに気づく。


それも今後、エネルギーミックスとして、風力や太陽光発電を技術的にどう高めていくかという技術開発の議論なしに、いきなり「全量買取制度」というビジネスに特化した法案の話になっている。加えて


気持ち悪いのは、今日始まったこの法案審議の直前の日にあたる昨日、菅首相が「脱原発依存」の表明記者会見という茶番を打ったことだ。


ムードとして、脱原発を現実のものとするために必要な法案のように見えてしまうかもしれないが、それはまったくの、はぐらかしに過ぎない。


なぜなら、今のままでは「安定供給」が難しい点がネックとされる風力やソーラーの技術水準はそのままにして、ただ個数を、その生産台数を増やしたいという産業意志をバックアップするための法案に過ぎないからだ。


すでに建設されている風力発電の装置の個数をそのまま増やすこと。

すでに稼働しているが普及の余地がまだまだあるとされるソーラーをもっと普及させること。その追い風になるという以上のものではない。


「安定供給」の追求は、とりあえずおいておこうという話であって、脱原発とはまったく次元の違う話。


もし本気で再生可能エネルギーを国のエネルギー政策の根幹に据えるというのであれば、かつて原子力発電が、国家予算によって実験炉から育て上げられていったように、技術のブラッシュアップ含めて、国家プロジェクトにしていけばいい。しかしそういう骨太な法案ではない。


だから煙に巻かれたような気持ちになるのが、実は正常な感覚なはずだが、

そこを明確にしてくれるようなニュース報道は今のところない。


どさくさに紛れて、将来的なエネルギー安定供給への貢献度もはっきりしない「既存産業」を、あたかも原発に代わる「新産業」でもあるかのような触れ込みのもとで、保護育成しようという法案にしか見えないのだ。


そもそもこの法案の大元は経済産業省が今年の初めに作成したもので、環境庁も関わっているとは言え、国のエネルギー政策の根幹にあるようなものではなかった。その時点ではまだ、原発の新増設が、エネルギー基本計画の柱として、しっかりと据えられていたのだから。


そして閣議決定されたのが、あの3月11日、大震災発災の日の午前中のことだった。


つまり菅首相が、この法案を後生大事に持ち出し始めたのは閣議決定から3ヶ月を過ぎてのこと。どこでどう風向きが変わったのか確認する気にもなれないでいるが、


原発事故の収束がまだまだ先が見えず、被災地の復旧さえ覚束ない現時点で、
国の将来を占うかのような鳴り物入りで審議するようなものではないはず。


ずいぶんと浮き世離れした内閣であることよ、と思うばかり。


大風呂敷とアイマイな時代の雰囲気を悪用して、ミソもクソもごちゃごちゃにして丸め込もうとするようなイヤらしさばかりが鼻につく。


もっと言ってしまえば、大震災と原発震災をダシにした策動とさえ言えるだろう。


ビジネスチャンスというきれい事で済ませてしまえるようなことではないのだ。


「脱・原発」戦略=「脱・経済成長」戦略と断言できて初めて、「不安定な」再生エネルギーを、不安定でもいいから真に促進しようと言えるはずなのだ。


そうでないかぎり、この法案は、原発利権、石油利権につぐ新しい利権を生み出すきっかけになることはあっても、壊れかけたこの国を再生に向けてリードしていくものになど、なりえるわけがないのだ。


小さな新産業分野を促進することが悪いと言っているわけではなく、どさくさに紛れて、あたかも脱原発と絡むかのような芝居を平気でやろうとする現内閣の姑息さに気づくべきだと言いたいだけだ。