なんでも、法然上人、2011年が800年大遠忌にあたるそうで。
法然が開いた浄土宗、
その門人であった親鸞が開いたのが浄土真宗。
「真宗」の「真」は、複数の門人の間で、法然の教えの解釈に違いが生まれたときに、これが真実であると主張するためのものでもあったようです。空海さんの真言密教のほうが肌に合いますが、こう考えてみると、親鸞もけっこう戦闘的です。
とくに禅宗の「我が計らい」ばかり、という小乗的な点への痛烈な批判は、親鸞のなかでも頼もしさを感じさせるところです。
まあ、しかしすべて阿弥陀仏の計らいという、捨て身の凄さと「楽」のあいだに、緊張すべきなのか、そのまま身を預けたものか、かえって迷いを深めてしまいそうなところもある。
時代が違う、と言えばそれまでですが、久々に吉本隆明の『最後の親鸞』でも読んでみようかと思います。

そろそろと、明けましておめでとうございます。
2011年が、良い年でありますように(人)
南無阿弥陀仏
photo by Autumn Snake 【おぉたむ すねィく探検隊】写真部門 担当 大原佳苗