「書く」ということ、「描く」ということ(6)坂の上の雲、子規の背中が痛々しく・・・ | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

司馬遼太郎の原作『坂の上の雲』に、あのドラマほど正岡子規を克明に描いた部分は、ないはずです。


しかし、ドラマの登場人物の描き方、歴史上の実在の人物の描き方として、見事です。


それは子規が標榜した「写実」そのままと言っては褒めすぎになるかもしれないですが、それくらい描ききったと思うし、香川照之の鬼気迫る演技にも脱帽です。


原作『坂の上の雲』にそこまでの記述はない。


しかしドラマという映像の世界では、歴史上の実在人物については、ひとりひとりの資料にあたります。そうしないと役作りも何もできないからです。


子規の場合は、言うまでもなく『病牀六尺』がある。

読んでみればわかりますが、非常に忠実に「台詞」化されていることに気づくはずです。


甚(はなは)だしい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤(まひざい)、僅(わず)かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪(むさぼ)る果敢(はか)なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさへ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪(しやく)にさはる事、たまには何となく嬉しくてために病苦を忘るるやうな事がないでもない。


ここ、ドラマの香川照之の台詞では「現金な生き物」、という一言に集約されている。


あとはまさに脊椎カリエスの末期におかれ「五分(ごぶ)も一寸(いっすん)も動け」ず、煩悶、号泣する子規を、香川照之が迫真の演技で「映像化」している。子規がもしも生きていて、このシーンを見たとしたら「リアルすぎる」とうなったかもしれません。


もうひとつ、日清戦争に新聞記者として従軍した子規。このシーンもリアルです。


子規の『従軍紀事』を読めばわかります。


若い頃に自由民権運動の洗礼を受けた子規らしい「記事」のアンソロジーです。


居丈高な軍人に対して、物申すあのドラマのシーンを彷彿とさせる記事が集められています。


このタイトルですが、「紀」事になっていますが誤字ではない(手元に資料がないので確認はまだですが)。


おそらく「軍紀に従う事」と読ませようとしたのだと思います。


子規がそこで書いているのは、真の軍紀のもとにない軍人ないし軍への批判です。


ただし、それは「反戦」とか「反軍」とか、そういう感情のものでは、まったくない。


こことても重要です。そして、今となってはとっても理解の及ばないような、明治と平成の違いを感じるうえでも、見過ごしてはならない点だと思います。


「国家」の意味が違った。あの時代は「国家」が「見えるもの」であり、それなりに「寄り添える」ものだった。おそらく「国・邦(クニ)」と「国家」が乖離していなかった。それを体現しているのは、というより描きやすい登場人物は、秋山兄弟よりも子規のほうだったろうと思えるのです。


司馬遼は、亡くなるまで『坂の上の雲』の映像化を許さなかった。映像になると、戦記にしか写らないんじゃないかと危惧したからと言います。野沢尚脚本のドラマは、いまのところギリギリその危惧をすり抜けている。


もともと司馬遼太郎も秋山兄弟「+正岡子規」という配剤の発見がなければ、その作品を書けなかったのかもしれないとさえ思います。


おっと実は、こんなことを書くつもりじゃなかったんです。


子規の背中、痛々しく「書く」ということの真相を、よくよく顧みたかった、ということだったのですが。


子規とはホトトギスのことでした。


ホトトギスは、「血を吐くまで、血を吐いても啼く鳥」とされています。


(続く)