「書く」ということ、「描く」ということ(3)電子のロールモデルは紙である。 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

ブログに限ったことではないですが、こういうコンテンツ・マネジメント・システムではどうしてもできないことがあります。それを、試しにやってみようと、ちょこちょこ始めてみたのが、こちらのページなんですが。


http://editorial-engine.jp/e-book/index.html


同じことが起きているだけで、どうも前に進めない。


これはどうやら、こちらの限界ではなくて、現在のノイマン型コンピュータや、RDBS(リレーショナル・データベース)の限界ではないかと思えて来ました。


どう考えても、紙の雑誌的な編集のほうが、まだ近いことができる。


近いことというのは、Hyper Textの実現というということなんですが。


これについては、3年ほど前のメルマガの記事にもちょっと書いてます。


http://archive.mag2.com/200703111107540000222248000.html


古くから、インターネット以前に、そして今でも使っている「紙」の上のテキストに比べてHyperということだったのである。

この一文、 「Hyperになるはずだった」のに、そうはなっていないという意味を強調しておかないといけません。


書籍でもできるかもしれませんが、雑誌のほうがより柔軟です。


全ページ数は、あらかた決めてかかりますが、記事の集まり具合によって、予定していなかった記事を、新たに加えたいということが起きたときに、広告を入れたりなどしながら、「その場」で新しい記事を生成することができるという意味での柔軟さです。


Hyperという意味には、そういうことをよりダイナミックに、プロセスとして実現できる、それがデジタルの力だという意味合いが込められていたはずです。


要するに、編集とデザインが伴走しつつ、編集とデザインがダイナミックに相互に変容していくプロセスをはらみながらも、「一冊」の体裁を保つというか。


そういう「動く本」というか。


しかし、それは紙をめくるという動きのなかで、すでに実現されていたことでもあった思うわけです。


そういう「紙」を電子はロールモデル、つまり電子も紙のそういうHyperなところに憧れるからこそ、面白いものになっていく。電子は紙を超えようとして、頑張るべきであって、たんに質量を失った代替物を生み出すためのものではないだろうと。


より簡単な例を挙げておくと、「書き込みのできる」ものでなければ、紙を超えるものとは言えないということでもあります。それは要素技術としてはすでに実現されているものですが、「書く」ことと「描く」ことのあいだにあるものとして働いてはいない。


紙の編集にはほとんど登場しなかった、電子上でまあ紙をロールモデルとしながら、紙をちょっと超えそうだと思わせるのは、こういうバナーというか「文字ボタン」だけじゃないかと言ってしまいたくらいで。



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-文字ボタン


そういうわけで、いま無性にマガジン編集をやりたいという気持ちが盛り上がっているところです。


これはもう珍しくもないですが、CDROM付きなり、DVD付きにして、紙と絡む仕掛けをネット上に置くというくらいでもいいんじゃないかと。


そのほうが、クソもミソも「電子書籍」と言われる感のあるものよりも、よほど面白いものになるんじゃないかと、思ったり思わなかったりしている(笑)今日この頃です。