「書く」ということ、「描く」ということ(1) の続きです。
結論から言っておくと「書く」ことに「描く」は含まれている、ということなんですが、
めちゃわかりにくいですね(笑)
書くことのなかにも、ビジュアル編集を起動しない段階のものもあります。
よけいわかりにくくなってきましたが。
たとえば、
このブログ記事を書くツールの下に、「HTMLタグを表示」というのがあります。
アメブロ全体がHTMLをベースにできているわけですが、HTMLは大枠、html要素と、head要素とbody要素でできています。基本はこれだけです。これで一枚の白紙が描かれる状態というか。
で、head要素のなかにmeta要素というのがあってそのmetaの属性の変数(プロパティ)の一つにdescriptionというのがある。keywordというのもある。このdescriptionとkeywordは、かなり関係が深い。
HTMLというマークアップを機械(メタファーです)が読んで、レンダリングエンジンとよばれるソフトウェアプログラムが、人の目で読めるように表示してくれるわけですが、このロボットは<タグ>を記号的に読んでいるだけだし、検索エンジンのロボットは、とりあえず、単語(少数の文字の集まり)単位でしかパターンを拾わない。
で、最近あまり効果はないと言われてますが、keywordには、その機械に読み取りやすく、文字どおりキーワード、単語を並べる。
同時に、ブログ記事は当然、人が読むものですから、そのブログにどんなことが書いてあるのか、それをdescriptionに書く。
さて、ここまで何かイメージが浮かびましたでしょうか?
せいぜい「ロボット」くらいじゃないでしょうか。しかし、このロボット、あのロボットではないので、わたしやあなたのタマのなかに浮かびあがるあのロボットの姿は、このロボットについて「書く」にはふさわしくない。
メタファーとして挿絵的にこんなロボットがあしらわれるのは、まあ許されるとしても。
いや、これはでかすぎ(笑)。挿絵カットとしても、昆虫ロボくらいにしとかないと。
つまり、「書く」という「描く」を含む「書く」のなかにも、
「描く」の零度、ゼロ度というのはあるということです。
この「書く」のさいたるものは、コーディングかもしれません。
描くために、いったんビジュアルというかイメージを減衰させなければ、ということもあるわけです。
もちろん、いきつ戻りつの往還はあるとしても。
次回は、テキスト・ブラウザに始まる、ブラウザの歴史を、このテーマにからめておさらいしてみます。
少しは、わかりやすくなるはずです。
(続く)
