「人はパンのみにて、いきるにあらず」
新約聖書「マタイ伝」に出て来る言葉ですが、この意味なんとなく理解できているような気がする、たいていの人が、そう感じているはず。
でも、「パンだけで生きることができたら・・・」
と、昨日取材の帰りの電車のなかでふと思ってしまったのです。
パンだけで生きることができたら、
いまのような、もめ事もなく、世界はもっと単純で、
まず肩凝りなんてありえない。
そういうふうに。
で、夜食がてら立ち寄った行きつけのバーのバーテンさんと、この話をしたのです。
そしたら、「エデンの園が、そうですよ」
といきなり答えが返って来た。
なるほど、確かに。
楽園を追放されてから、なにもかもめんどくさいことになってしまった。
そういうことだったと、いきなり納得してしまいました。
人は、他の生き物とは違って、メシ食えればそれでいい以上の何かを持っている、といった感じで理解されているマタイの言葉。
それも確かにそうなのですが、
パン以外の、何によって?
ということは、どちらにしても明言されてはいないのでした。
もちろん、マタイ伝では、こう続いています。
「神の口より出づる、一つ一つの言葉にて生く」
言葉。
これが、実に難問なのです。