「ビジネス書」再考 その一:手続き的知識と宣言的知識 | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

「再考」は「再興」につながることもある営為だが、「最高」ではない(笑)


お題の「手続き的知識と宣言的知識」は、ブックショップコーディネーターのぱーぱすさんによるTwitter提起。


これについては、編集を手がけた本のコラムに、えんじんも書いたことあるが、著者にとっては蛙の顔にションベンだったようで(爆)。まあ、それはいい。ついでに、ここではっきり言っておくが、生まれた著作物と「著者」は関係がない。ビジネス書にだって「文学空間」というものがあるのだ。生まれたものに罪はないし、闘う気があるならその空間で闘え。あっという間に結論めくけど、要するに再考すべきなのは、こういう空間で闘う気概のない似非、自称ビジネス書作家どものことなのである。


その志たるや、実に卑しい。


さてと、人は自転車のみで生きるにあらず。


自転車の乗り方などが、代表的な手続き的知識。カタカナで「ノウハウknowing how」とか「ハウツー」などともいう。


箸の上げ下げも手続き的知識だろう。


だが、これをわざわざ本にした話も聞かないし、本を読んで箸の持ち方を覚えたという人はいないはず。海外からのツーリストなどを除けば。いや外人さんだって、対面で手づから教わることのほうが多いと思う。


これもある本に書いたが、さまざまな手続き的知識は、かつては先輩から後輩へと、現場で伝えられた。それをわざわざ本にしなきゃならん事情が生まれた、というのが一つ。


箸のでんで言えば、箸の持ち方を教えてくれる、オカアチャンが世の中から消えたのだ。極論すれば。


一方、宣言的知識というのは、ちと抽象的。


英語でknowing that。日本では「覚え方」は手続き的に思えるが、「九九」は宣言的知識である。


2×2=4である、というのは宣言的知識。ほかにいろいろな公式、科学的法則もそう。


原則、法則などと使われるものは、ほとんど宣言的知識と考えて間違いない。


手続き的は、手段、ツールにまつわる知識であることが多い。それで何をするのか、それが正しいか間違っているか、などの思考を含まないとされる。


ここで「再考」しておかなければならないのは、「道具」という日本語。


これ、たんなるツール、ではないのではないか。


と考えることで、道具も磨かれるという、手続き的と宣言的の好循環が失われた。


たぶんそういうことだろう。


「ライフハック」も洗い直すべきだろう。


(続く)


このテーマにぴったしの本は、直接カウンターしていない、まったく別のジャンルにあるはずだが、時間がない。絵がないと寂しいので、以下参考までに。

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