新しい公共とツイッター(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

インダストリーな朝 以来、カラダのあちこちが痛む感じがしている、えんじん岡田です^^;


インダストリーというのは「拘束衣」みたいなところがありますから(笑)



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-拘束服


この「拘束」には、ヒトってのがそもそも生物として失敗作であるという、それこそイタイ背景もあるのですが、そこはもっと元気なときに触れることにします。


産業革命以来の労働観と労働の歴史をおさらいしていて行き着いたのが、「公共空間」というテーマです。


鳩山さん、突然の辞任で驚きましたが、ついこのあいだ「新しい公共」というテーマでのシンポジウム をユーストリームでオンエアしたばかり。いい置き土産になってくれるといいのですが。


で、なんでツイッターなのか。「ソーシャルメディア」という言葉がヒントです。「ソーシャルメディア」が何を指すのかは、17日発売の『ツイッターの教科書』とその巻末特別付録「つい典」を読んでいただきたいのですが、これと対になる言葉が「産業メディア」です。


いまもあいかわらず「産業社会(インダストリアル・ソサエティ 工業社会とも訳される)」なわけですが、これってわかりきったあたりまえのこと、なんでしょうか。


産業=社会、であるわけはないのです。社会のなかの一部として産業はあったわけで、産業社会とは実は異様な事態です。


そこで、インターネット、ウェブから生まれたメディアに対して、「ソーシャルメディア」という言葉が、2006年ころから使われ始めた。その対語が「産業メディア」。


「社会的メディア」と「産業的メディア」という用語が、ウェブから生まれて、あらためて「社会」というものにスポットライトを当てることになったというわけです。


ただ、そもそも「社会」というのが、実はあるようでないようなあるような、よく見えない言葉というか概念なわけですが、もう少し具体性を持たせて言うなら、「公共空間」ということになります。


(続く)



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-『ツイッターの教科書』表紙カバー帯



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