『カラマーゾフの兄弟』を、フローで読む(笑) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

なんだか最近、電子書籍と紙の本をめぐって、誰が言い始めたか知らないが、「フローとストック」の図式でもって何かを言ったような気になっている御仁が増えているように見受けられる。


この図式をいちいち詮索することはしない。「情報マネジメント」という言葉が使われはじめたころからこの図式が現れたように記憶するが、本来、マネーなど数量化できるものについての図式だ。もともとあんまりピンと来ない(笑)。でもまあ、言いたいことはわかる。


だから、図式そのものでなくて、この図式の使い方がちょっと気にくわないという話(もっとうまく使えよ、どうせ使うなら 爆)。


ところで、最近になってドストエフスキーとか、埴谷雄高の『死霊』とかが、読まれているらしい。


(これはいわゆる「リバイバル」ではないだろう。先行して音楽の世界で起きたような、データベース的フラット化によって新しい読者を獲得していると、まず見ておくほうが今後のためになる)。


わたしはスプリンターなので(笑)、だいたい長編というものを滅多に読まないで来た。


(なんだかドストエフスキー翻訳文体の調子が乗り移って来ている 爆)


ドストエフスキーは『地下室の手記』くらいしか、ほとんど読破したためしがない。


例の図式の話もあって、ついでに『カラマーゾフの兄弟』上巻を青空文庫からダウンロードして読んで見た。


しかも、OzEditorという原稿書きに使っているエディターの「原稿用紙」モードで(笑)


編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-カラマーゾフの兄弟


けっこう読める。『兄弟』は、文庫で3巻本、総頁は2000頁近くになる大長編。しかも主題が半端じゃない。


しかし、原作からの引用は、他の本のなかでちょくちょく目にしてきた。


原作をストックとすれば、フローにあたる本かもしれない。


要するに、言いたいのは、それがストック本かフロー本かではなく、読もうとするこちらの姿勢がストックなのかフローなのかであって、言うまでもなく二つは繋がっている。


そのつながりを、見せてあげる工夫があればいい。


無理無理のこの図式を使えば、「フローから入ってデータベース(ストック)の奥深くに突き刺さる」ということはあるのだ。


ソフトウェア設計でいう「フロントエンド」と「バックエンド」のように、どちらが欠けてもそこに生きた情報はない。


このことがすっぽり抜け落ちた「フロー/ストック」議論は、まったくのムダである。


読む側のフレームワークというか、スキーマが編集されていれば、電子も紙もそのモードに応じて共存できる。


ストックかフローかなど、お呼びじゃないのだ。


カラマーゾフの兄弟―まんがで読破/ドストエフスキー
¥920
Amazon.co.jp