満員電車とツイッター | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

別に満員でなくてもいいのですが、


毎朝、毎夕、通勤・通学で乗る電車、何両目に乗るとか決めてますか?


ジンクスを気にする人は、番号で決めたり(笑)、乗り換え口との距離とかで、自ずとこの辺というのは決まってくるのかもしれません。


たまに、毎朝見かける顔とか、そういう特定の「顔見知り」は出来ることがあるかもしれないですが、乗り合わせたお客さんたちは、赤の他人です。たまたま、その車両に乗り合わせたに過ぎません。


グループが出来ていることはあります。



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-グライダー


二人、三人、多くても四、五人。その会話が耳に入ってくることもあります。


たまたま同業らしい人たちの話だと、思わず聞き続けていたりすることも。


あなたが先に降りるか、彼らが先に降りるかすれば、それっきりです。


こちらから、話しかけることはまず、ありません。


帰りに立ち寄る一杯飲み屋さんだと、どうなるか。


常連さん、というのがどんな店にもいます。


こちらから話かけたり、話しかけられたりということは、あります。満員電車よりは、会話に継続性がある。


これらは、どう考えても、ライフゲーム的です。


要するに「コミュニケーション」論的に、ソーシャルメディアをとらえようとすると、まず見えてくるのはカオスです。


厳密な意味ではカオスではないのですが、一見そう見えます。


ミクシィのようなSNSは、招待制でした。


招待券がなければ入れないパーティみたいなものです。


ツイッターはオープンキャンパスみたいな、誰でも簡単に入場できるパーティなわけですが、仮面舞踏会でもありません。


「疲れた」とか「明日は仕事行きたくないとか」、正直な気持ちを吐露できなくなって、ミクシィは放置という人知ってます。女性です。


ここは微妙です。ソーシャルメディアの「ソーシャル」ってなんのか。


とてもUSA的なメディアであるように思えてきました。


社会はどこだ? 社会はどこにある?と叫びまくるというパフォーマンスをやった1930年代の社会学研究会のことを思い出したりしています(笑)


コカコーラが、そうしたように、企業PRに使えることは確かです。



編集機関EditorialEngineのシンプルマップ的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks-Pulsator