「芸による認識」を読むということ(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

伊藤整の「芸による認識」は、昭和24年(1949年)に発表されました。


一見して難解なのは、独特の言葉の言い回しが一流の動かし方で、明晰なものに行き当たろうとして書かれているからで、理論的な書きっぷりにはまったくなっていないのが一つ。


「認識」と言っても、認識論のような概念装置が整ったものからの援用が行われるようなものではないこと。


そして、あまりにも時代が遠くに過ぎ去ったものであること。


主にはこの3つに韜晦されていると思われます。それでも、なぜ読もうとするのかは、はっきりして来ました。


「緑の孤島」 で発見した「記述」と呼応するものを感じるというのが一つ。


もう一つ、「構想」としての黒船来航を構想するための欠かせないピースを準備するため。


書物に無縁とは、本当のところ何に無縁ということなのか? に答えるため。


というふうに、滑走路は整いつつあります。


ただ、文芸史を追うためでも、伊藤整その人を研究するためでもありませんので、


いくつかのXYZ軸を維持するための、補助線も必要です。


一つは、前田愛著『近代読者の成立』。


一つは、加藤周一編著『文体』です。


文体 (日本近代思想大系)/加藤 周一

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)/前田 愛

こういう助走が行き着く先は、HTML5であったり、XMLであったり、e-Pubであったりするわけですから、アカデミックな研究者のように、ゆっくりじっくりというわけにはいきません^^;


「編集」Hyper Editingで、突っ走ることにします。 (続く)