勉強は、「一人勝ち」のための魔法ではない(1) | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

日垣隆さんの『職業と道楽』を読んでいて、思いついたのがこの記事タイトル。


勉強は、「一人勝ち」のための魔法ではない。


勉強につきものなのは、読書。対象が教科書であれ、過去問集であれ、学参であれ、副読本であれ、ニーチェの『権力への意志』ドイツ語原書であれ。


これは一見して孤独な行為に見えるし、事実そのとおり。より広く人と人の関わりのなかで生まれる、いわゆる人生勉強というものもあるが、昨今の「勉強本」ブームで定着した、「インプット-アウトプット」という本来、情報工学(その淵源は、ウィナーのサイバネティクス)のモデルを借用した図式でみると、なおさら孤独な現象に見えてくる。あなたが入れて、あなたが出す(爆)


「俺がイモ食ったら、おまえのケツから屁が出るか?」という、フーテンの寅さんの有名な台詞があるが、これに近い「ねじれ」のない勉強は、いや勉強本は、もうそろそろ終わろうとしている。


勉強は、「一人勝ち」のための魔法ではない。


商人が使う「勉強させてもらいます」は、お安くしておきますというくらいの意味だが、


本来の「勉強」は、こっちに近いんじゃないかと思う。


(1)学問や技芸を学ぶこと。学習。

  「—部屋」

(2)ある目的のための修業や経験をすること。

 「何事も—だと思ってやってみる」

(3)(商人が)商品の値段を安くして売ること。

 「—しますのでお買い下さい」

(4)物事にはげむこと。努力すること。

 「職業に—する精神あること/西国立志編(正直)」

(5)気が進まないことをしかたなくすること。

 「—して櫓を揺しゐたれば/甲子夜話」

 補足説明(4)が原義


たぶん(1)は、新しく加わった意味だろう。明治時代以降あたりから。


交換できる勉強法、俺がイモ食ったんで、あんたのケツから屁が出るような(爆)、あまり美しい言い方ではなくて恐縮だが、そういう勉強なら、どんどんやって行きたいと思う。


いわゆる、「Vital Involvement生き生きとしたかかわりあい」の生まれようのない勉強など、ムダである。


「Vital Involvement生き生きとしたかかわりあい」は、『老年期』などの共同研究プロジェクトに邁進した、E.H..エリクソンらが提唱した大切な概念。


このまま行くと、「勉強すれば勉強するほどドン詰まる」、「知れば知るほどドン詰まる」、ってことにもなりかねないので、あえて他山の石とする。



老年期―生き生きしたかかわりあい
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