われわれの記述が言葉や数字や図でなされるという状況を今仮りに無視して、血と肉と行為をもって記述することで記号化の壁を一応取り払い、さらに血と肉へ翻訳する際の障壁さえ無視することにしても、絶対確実な知識を手にすることは、どんな事柄に関しても永遠に不可能なのである。
――グレゴリー・ベイトソン
これは「科学は何も証明しない」という節でもっとも確実と思われがちな科学知識の不確実性に触れようとする前振りで、むしろ生きた知識というものの可能性に向かう助走なのです。
血と肉と行為をもって記述すること、は出来ます。
犬塚勉の絵画のように。
