インパクトがなければ書けない | 編集機関EditorialEngineの和風良哲的ネタ帖:ProScriptForEditorialWorks

インパクトというのは、とても強い言葉です。


まあ、「書く」動機と言ってもいいんですが。


「言うべきことがなければ書かない」


確かこれは、写真家の藤原新也 が、

本を書き始めたときに語った言葉です。


写真家の自分が、なぜ書くのかという根拠を、

探しての言葉だったと思います。


「歌」の起源にも触れる言葉だと思います。


「うた」→「うたふ」→「うったふ」、つまり「訴える」です。


この言葉、いまでは「訴訟」とか、人を訴えることを思いだしてしまいそうですが、「うた」の「うったふ」は、もっと広い意味でした。


多くの小説家も、こういうインパクトを受けていることが多いです。


「もう黙っていられない」的な動機が強いのは、

ドキュメンタリー作家的な人に多いかもしれません。


小説家の場合は、インパクト型とインスピレーション型があるようです。

まあ、書くことは生きること、なんて言い方もあったりするわけですが。


ホラー作家には、書かないと、作家本人が、

ある恐怖に打ち勝つことができない。

だから書き続ける。書き続けざるを得ない。

こういうタイプの作家もいます。


エンターテイメント、エンターテナーとして自覚を持って書く作家ももちろんいます。こちらのほうが多いでしょう。ハリウッドなんて、そういう作家であふれているのはご存知のとおりです。いわゆる「職業としての作家」です。


書こうとする動機、モチベーションとインセンティブ。

この関わりを、つねにウォッチすることも、

職業としての編集者には必要です。


世間で、よく誤解されたまま流布しているのが、

作家先生として敬われる、そういう名誉心を満たすことが、

出版によって実現するという話。


これはまったく違います。


そんなものは後からついてくるかもしれないですが、

この名誉心というのは、書くことを駆動したりはしないです。

いや、こんなもので「書く」なんてことはまず無理です。


「作家先生」なんてのは、どっから湧いてきたのか、

どうせ、そのへんの編集芸人が、すかしたりおだてたりする必要を感じて
編み出した手練手管の刺身のつまだったのだろうと思います。

「社長!」と呼ぶのと、ほとんど変わりません(笑)。


もちろん大作家先生は、存在しました。

たとえば今年生誕100年を迎える松本清張。


その清張でさえ、初めから「大先生」であったわけではありません。

いわんや、たった1冊の本を出版したからと言って、

先生呼ばわれりされたりするわけがないじゃないですか。

(もちろん最初の1冊が大ベストセラーになることはありますが、そういう話ではありません)。


30そこそこのころに、清張の久我山浜田山にあったご自宅に、

毎日のように、原稿を受け取りに行ったことがあります。


たいてい、玄関に奥様が出てきます。


「先生は、ご在宅でしょうか?」という挨拶から始まります。


当たり前のことです。すでに大家の時代の話ですから。

それと、目上の存在ですから。親子ほど年の離れた。

だから当然です。敬語として。


でも、インタビューとかになると、「清張さん」と呼んだりします。

なかには、先生呼ばわりされるのを、ひどく嫌う「先生」もいます。


「伝えたいことがある」から、

「人を笑わせたり、驚かせたりするのが好き」だから、


まあ、このあたりが、まっとうな書く動機です。


あとは、「伝える」に近いですが、「教える」というのも、

立派な動機です。


清張さんの場合は、強烈な「探究心」というのもあったと思います。


それが、「謎解き」のストーリーに展開して、

エンターテイメントとしての推理小説というジャンルで、

多くの読者を獲得していった。稀有な例です。


現代史を含む歴史の研究者になりたかったのかも知れないですし、

実際そういう著書も残しています。


作法や、手法は後からついてくる。その意味では、

いまや数少なくなったと思われる、

古典的な作家の一人とも言えるでしょう。


松本清張の場合は、「謎を解き明かしたい」という動機が、

書くことのエンジンになっていたと断言していいくらいです。


「まずは、駆り立てられるように書き始める」。

そういうスタイルから出発したんだろうと思います。


ここだけ見るなら、とてもわかりやすい作家とも言えます。

大きな謎、疑問に遭遇することが、清張にとってはインパクトであり、

その謎にできるだけ迫ること、

他の誰も気づかないような謎解きの筋道を示し、

他の誰も言い出さないような仮説を提示すること。

これが、インセンティブになっていただろうと思います。



PS.

ここに書いたような、動機が動いてる方が、

もしいらっしゃれば、アドバイス致します。

コメントなり、メッセージでもいただければ、と思います。


PPS.

本をまとめる以外にも、「書く」ことは、

仕事、勉強、さまざまに必要とされます。


編集的ライティングは、「しゃべる」ことから始まります。


意外な話、かもしれませんね^^


小論文の試験場で、ぶつぶつ言ってると、

レッドカードかも知れませんが(爆)、そういうことじゃなく、

編集技術の一つを応用することで、いろいろな場面で必要とされる、

「書く力」を身につけることができます。