平成25年5月16日(木)  夜は、雨が降るらしい

 『新ちゃん』臆病で、これ以上近づくと逃げる。逃げようかどうか考え中の顔。

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 綾先生の毒の研究は、キノコ類からジキタリス、アヘンに至るまで、広範囲にわたっていた。ただ、K-30が、亡くなった原因となったサボテンの毒の分類はなかった。『サボテンは、恵美先生が研究しているし、基本、あまり強い毒はないのよ。智子さんのイギリスの霊は、サボテンの毒で亡くなったということだけれど、何かとの組み合わせが原因でしょうね。サボテンだけでは、劇症を起こすとは思われないのよ。ケンブリッジ大でも、サボテンには触れてないわね。』と、時折、綾先生は、智子に関わることを話題にした。確かに、4年間滞在したケンブリッジ大学でも、K-30が何で亡くなったのか、その毒物をつかむことはできなかった。K-30自身も必死に自分の過去のその瞬間を思いだして、お城にあったサボテンを思い出そうとしていたが、ついにかなわなかった。『K-30さんは、まだ答えを捜しているの?』と綾先生は聞いた。智子は、そのことは気にしてないと答え、運が良ければいつかはっきりするでしょうとだけ言った。『そうよね、300年前の話なのよね。植物だって、その間に変化をするでしょうし、まったく同じものを見つけることはできないかもしれないわね。』と綾先生は、めずらしくいつまでもこだわって話していた。
「先生、今度の研究室では、何を中心にしていかれるのですか?」智子は、新しい研究室には、常に外から人が出入りするし、いつも半分近くは男性で、すこし戸惑いを感じていた。
「今では、育苗家のお手伝いというところかしら、新しい発見に正しい遺伝の履歴をつけることかしら。薬品関係の時のような神経を張りつめた研究室ではなくなったのよ。みんなが楽しく植物に触れられればいいと、考えていて、若い世代が、興味を持って植物に取り組んでもらいたいと企画したんだけれど、智子さんの居場所はなくなってしまったわね」
「そんなことありません。テーマを見つければ自分の部屋でもなんとかできるのではないかと」
「智子さんが、構わなければ、またケンブリッジ大に戻って、今度は、あの教室の正所員として働いてもいいのよ。もうすぐ論文が発表になるでしょう。ケンブリッジ大からそういう引き抜きが来ているの。考えといてね。皆にはまだ内緒だけれど、智子さんの弟さん家族もスイスに定住しそうだし、孤立無援というわけでもないでしょう。ご両親には、さびしい思いをさせるかもしれないけれど、智子さんの仕事は、あちらの方があるようなのよ。洋子さんは悲しがるかもしれないけれど、彼女も家庭を持ったし、子供が出来れば家族が一番大事になるから、さびしくはないでしょう」
「分かりました。先生のこのお仕事が済んだら、はっきり答えを出します。いつも気にかけて下さいまして心から感謝申し上げています」智子は、イギリスから戻って、まるで手紙文のような日本語を使っていた。
「こんなことを持ち出して、ご迷惑かもしれませんが、その後、宗像さんはどうなったのでしょう。普通の人として暮らしていられるのでしょうか」
「宗像さんは、実に精力的で、お茶の専門家として有名になり、『茶観悌』のお茶は、漢方薬の医薬認定まで受けて、株式の第二部上場までになっているのよ。彼女の目的が、もともとお金がらみだったのだから、満足しているでしょう。上野毛に、それは立派な邸宅を買って、一人で住んでいると聞いているわ。だからもう全然心配はないのよ」
「そうなんですか。もう新興宗教からは手を引いたのですね」
「その点は、定かではないけれど、彼女を襲ったという一派は、『茶観悌』の若者たちに逆襲されたとその筋では言っているわ。彼らに関わるのは怖いけれど、私たちは、ただの研究者だし、私たちに霊力があることを知っている人もほとんどいなくなって、現実、みんな高齢になったでしょ。だからターゲットにもならないのよ。今回の若い人たちは、普通の子たちなので、霊の話は、智子さんで終わりになったわね。だからいっそう、イギリスの暮らしの方が、智子さんに合う気がするのよ」
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           平成25年5月15日(水)  東の窓際の『タロウ』

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 月曜日、智子さんは、4年ぶりに通いなれた研究所を訪れて、心の底から驚いた。早めに出かけたのだが、全てが騒がしいという雰囲気であった。実際の音は流れてなかったが、白い研究着を着た男性が四人それぞれがパソコンに向かっていて、みんな耳にイヤホンをつけ体を揺らして、音楽でも聞いているようであった。竹さんは、休憩室で洋子と、もう二人智子の知らない女性、四人でお茶を飲んでいた。恵美先生と綾先生はまだ出勤していなかった。智子の机は、用意されてなかったので、とりあえず、竹さんが中心の休憩室に入った。そこもなんだか知らない場所のように、物があふれていた。
「お早う!」と、相変わらず元気な洋子が挨拶してきた。智子も、挨拶と共に、新しい仲間に自己紹介もした。彼らとは、親子ほど年は違ったのだが、洋子になれている智子は、彼らとの距離はなかった。実際智子は、だんだんきれいになって、年齢不詳の50歳代であった。
「変わったでしょう。うるさい研究室になってね。私なんか疲れるわよ」と竹さんは、相変わらず毒舌を使った。それを聞くと、やっと前の研究室の雰囲気が戻ってくるのであった。
「イギリスで、研究されていたとお伺いしました。すごいですね」と洋子の助手を務める女性が言った。その横で竹さんのお手伝いをしている女性もうなずいていた。
「ここの皆さんに助けられて、勉強に出してもらいました。少しは、役に立てたかもしれません」智子は、知らない人たちに、無難な答えを言っていた。
 九時きっかりに、綾先生が現れて、所員全員に、智子が紹介され、智子には所員それぞれが自己紹介をしてくれた。みんな40歳になるかどうかで、若い研究室であった。智子は、しばらく綾先生の手伝いをするということで、彼女のパソコンで仕事をすることになった。
 綾先生は、研究の集大成に取り掛かかっていて、『毒の力』というコンセプトの本を編纂していた。まだ原稿の段階だったので、智子はいい時に帰国して、いろいろアドバイスを与えることができた。イギリスでの研究が、植物の毒であったので、ほとんど同じような内容を復習する感覚であった。
「智子さんは。植物の毒に強くなったでしょう?」と、綾先生に聞かれ、
「植物が怖くなりますね。知らぬが仏って、良い言葉ですね」と、当て外れなことを言っていた。綾先生は、智子が、そのくらいしか言わないことに満足していて、あなたは本当に力をつけたわと、嬉しそうであった。

                             
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       平成25年5月14日(火)  日中は熱中症を気にした

 〈港の見える丘公園〉の中にあった、
もしかしたら〈ジキタリス〉?花は似ているけれど、葉が違うようで?

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 今日は、85歳の母の検査につきあいました。MRIを撮ったのです。チェックの欄に、閉所恐怖症かどうか聞く項目があったのが、印象的でした。30分の検査で、詳しいことは、金曜日に分かるとのことです。この頃、一人暮らしの母を訪ねることが多くなりました。片道二時間半かかるので疲れます。母は、昨日、20万円もする新しいクーラーを買いました。まだ元気に一人暮らしを続けるつもりのようです。父が早く亡くなったので、一人暮らしをさびしいと思わないらしいです。私は、一人暮らしは苦手で大学生の時も就職してからも寮生活や兄弟と暮らしたり、いつも誰かがいました。今は、夫と二人ですが、他に猫6匹も家族です。