平成25年5月13日(月)   

 捕まえた二匹目の黒・雄猫
                     威嚇してくる
 日曜日で、工事がお休み。二匹の黒猫と白黒の猫だけがいた。他に白黒雉トラが二匹いるのだが、この日は見えなかった。左の黒が、母猫、右の黒はその子猫だが、もう大人のサイズになている。白黒は、食事時だけ来るよその猫とか。

                     *

 智子さんは、洋子たちより10日遅れで帰国した。洋子夫妻が成田に迎えに来た。知二さんの自家用車で、目白まで一直線で帰った。智子の部屋は、母親が時々掃除をしてくれていて、いつでも快適に暮らせるようになっていた 。
 綾先生と、恵美先生と華子と竹さんが、華子の部屋で待っていると言われて、荷物の整理より、まず報告が先と、そのまま華子のマンションに向かった。マンション間の移動で、智子は後ろを振り返ったが、洋子に、もう人の事を気にしなくてよくなったと聞かされていたと、苦笑いした。かつての仲間には、それぞれに考えたお土産があったが、別の航空便で送っていたので、今日は、とりあえずの挨拶になった。
「お帰りなさい。ご苦労様でした」と綾先生に一番に声をかけられた。
「留学させていただきまして、ありがとうございました。おかげで、とても良い勉強ができました。これからまた、それらを使ってお役にたちたいと思います」と、智子は、堅苦しい挨拶をした。
「元気で過ごせた?」と簡単に聞いてきたのは恵美先生で、そこから、智子が、留学する前と変わりない雰囲気になった。竹さんが、研究所がすっかり変わって、人の出入りが多くて、休む間もないと笑った。洋子も人が多くなって、楽しいと話していた。ついに旦那さんまでゲットした洋子には、特別の環境であったのだろう。
「今日は、研究室に出ず、月曜日から出勤していらっしゃい」と綾先生に言われた。智子は、大きく変わった研究室を覗きたいとも思ったが、旅装もまだそのままだし、土日を利用して、両親にも会いたかったので、言葉に甘えて、月曜日から出勤することにした。その日は、そのまま夕食会になり、洋子と華子の料理を堪能した。久しぶりの日本だろうと、日本食が並んだ。寿司や刺身は、日本で食してこそ真価が出るものなのだと改めて感じた智子であった。
 翌日、両親に会い、さすがに年老いたと感じたが、父は、まだ女子高で 数学を教えていたので、元気そうであった。
「智子が、ケンブリッジ大学で博士になるとは、不思議な気がするよ。短大出のショボットしたような若者だったよね。40歳過ぎから人生が変わっていったんだよな。本当に〈塞翁が馬〉ということはあるんだな」と珍しく父親が、智子の生活へ感想を言った。
「本当に、智子の部屋を掃除するたび、こんな難しい本を読んでいるのかと驚きますよ。半分くらいは、英語の本ですものね」と母も智子に八感心するというふうに言っている。
「もともとは、家の『天』という苗字から始まったことで、運命なんじゃないのかしら。イギリスでは、いつも〈AMA〉と呼ばれて、平気だったし、その国では、何の意味もなさないから、暮らしやすかったわ。今度、研究室は、人の出入りが多いそうなので、またお母さん苗字で過ごすことになりそう。そういう事が運命なんでしょう」
 
                       
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平成25年5月12日(日)  昨日の雨が嘘のように、晴れている。まだ木の葉には、雨つぶが残っているけれど、これから、新芽の剪定をしなければならい。

母の家にある大輪の薔薇
 〈ジャーマンアイリス〉
この頃、日本の〈カキツバタ〉〈あやめ〉より、この花の方をよく見る。豪華な花なので、日本の花の楚々とした風情より好かれるのかもしれない。

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 〈植物相談センター〉が、人を増やし、活動も公に始めた理由は、『茶観悌』の存在を怖れなくてよくなったことが大きい。宗像女史は、霊力を全くなくし、今では、『茶観悌』の代表として、宗教より健康茶の販売に力を入れ、それに関する本を次々発行している。植物学者から見ると、書かれている内容は浅いが、間違ってもいなく、サプリメント的な販売法で、かなりの会社にのし上がっていた。
 彼女の霊力を狙って、襲った別の新興宗教団体は、いまだにどの宗派か分からなかったが、新興宗教は、雨後の竹の子のように生まれて、たいてい一代で消えていく上、綾先生の研究所は、宗教ではないので彼らを怖れることはなかった。そうして、この10年関わった宗像女史からやっと抜け出ることができ、研究所も新たな出発を始めたと言えた。もともと5人くらいの小さな研究室だったのだから、その存在を知っているのは、大学関係者だけで、〈植物相談センター〉と看板をああげてから、少しづつ、大きな存在になりつつあった。
 智子が、ようやく帰ってくる目途がついたと言ってきた時は、研究室には、所員が、20人近くいて、出入りする人たちも常連さんが、50人はいた。そろそろ研究室をもっと大きなところに移さなければ、という話が出ていた。
 洋子は、夫の知二と共に、智子が帰国するという時期に合わせて、一週間休暇をもらい、イギリスを訪れた。4年ぶりに会う智子は、なんだかイギリス人のように見えた。50歳を超えて、大人びて見えたせいもあったのだろうし、日本でのように、おどおど怖がるものもなく、自信を持って暮らせたせいもあろう。イギリスでの研究は、その後論文に発表されるとのことで、仕事の話をするのは、お互い止めることにした。洋子の結婚を智子は心から喜んだ。彼女の夫の知二は、人の話をよく聞く性格で、洋子のように、疑問があるとすぐ口にする性格とよく気が合うだろうと思われた。背も高く、イギリスでも見劣りがしない分、三人が、ロンドンの街を歩くと、人目を引いた。きっと誰も日本人とは思わなかったことだろう。智子のおかげで、洋子は、ケンブリッジ大学の智子の研究室まで見せてもらえた。残っている研究者と智子が流暢な英語で話すのを聞くと、羨ましく思えるのだった。しかし、イギリスの研究者の何人かは、日本語も話せた。洋子は、彼らと日本の香草の事を話題にできて、すこしせいせいした。智子が、彼らに日本語を教えていたのだった。智子の帰国は、まだ片づけることがあると言って、洋子たちとは帰れなかった。智子が、新婚の洋子たちに遠慮したこともあった。
「帰国したら、研究室の変化に驚くわよ。人が50人くらい出入りしているし、慣れるのに時間がかかるかもしれないわね。綾先生は元気よ。他の人もね。姉には、時々あっているのでしょう。姉がスイスイに行くと、智子さんの姪御さんに会うのを楽しみにしているみたいだし、姉が、イギリスによく行くのはそれとなくわかっていたけれど、話してくれなかったのよ。姉妹なのに、信用してないのよね」と、洋子は愚痴った。
「お姉さんには、一年に、二回くらいしかあってないわよ。夏休みなんかに、弟の家族と会う時なんかに、スイスで会ったりとかね。どの方も忙しくて、この4年間、時間が経つの早かったわ。帰国したら、長話をしましょう」

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かつてパグを飼っていて、雌だったので、子犬を生ませて、14匹もらってもらいました。
彼女は、16歳半と長生きしました 。                                 
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           平成25年5月11日(土) 

 母の庭に植えてある〈ピース〉という薔薇・
先日の国民栄誉賞で長嶋さんと松井さんがもらった薔薇です。
蔓バラで、大輪・下からしか写真が撮れず、残念です。

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 智子のイギリス滞在は、もう二年延長され、イギリスで結果が出るまで研究に集中することになった。
 植物相談センターは、前ほど、秘密主義ではなく、パソコン上にも、植物の相談コーナーを開き、研究所に苗を送ってくる事も引き受けていた。また、他の育苗家とも連絡を取り合い、薬の基礎の研究より、新しい苗の研究の方が、多くなった。その分野には、恵美先生と、新しく入った5人の研究者たちが関わった。洋子もその方が、植物の理解が優しく感じられていた。
「智子さんは、何の研究をしているのかしら?」と、洋子は、もう二年経たないと智子に会えないと分かった時、休憩室での談話の中でこぼした。詳しいことを知っているのは、綾先生だけで、恵美先生もよく知らないようであった。
「画期的な研究らしいので、まだ論文も出てないけれど、その研究グループに属しているので、結果が分かるまで、共に過ごすのでしょうね」と恵美先生がさらりと言った。新しい仲間は、智子の事をよく知らないので、あまり興味がなく、これ以上は、こんな場所では話せないのであった。
 洋子は、イギリスまで会いに行きたいと思ったが、華子にも綾先生にも止められていた。智子からは、約束通り、一週間にいっぺんは、メールが来たが、日々の暮らしの事ばかりで、洋子が聞きたいことは、帰ったら話すというばかりであった。
 そんな洋子の愚痴を熱心に聞いてくれる仲間がいた。新しく入った男性の研究員で、田山知二という名であった。洋子と年齢は変わらず、最初の頃は、新しい仲間たちと飲みに行っていたが、一年たつ頃には、気づけば洋子は、知二と二人っきりで食事とかバーへ行くようになっていた。そんな時、知二に研究室の事や姉との暮らしなどの愚痴を聞いてもらっていた。この頃研究室も前ほどの緊張感がなく、洋子は、だんだん普通の人と同じ感覚になっていたのだ。鋭い感覚の綾先生も洋子の変化に気付いていたが、何も言わなかった。
 二人は、結婚適齢期であったので、彼らが、結婚したいと言ってきた時は、反対する理由はなく、研究室全員が祝福した。男性を研究室に呼び込んだ時から、綾先生は、そんなことも起きるだろうと考えていた節があった。洋子は、大学を卒業するころから、この研究室に関わり、男性と付き合うチャンスがなかったのだから、そのためにも、男性の研究員を参加させたようであった。洋子の仕事は、結婚している方が、実質的なアイディアっが生まれやすいのであった。
 結婚式は、親族と研究者だけの簡素なものであった。智子から、スコットランド製の玄関マットが送られてきた。智子の帰国が決まったら、洋子夫妻は、智子のいるうちにイギリスに行くことになっていたが、まだ一年先の事であったし、それも不確かで、洋子はイライラするのであった。