平成25年5月21日(火) 

 
性格はぴか一だけれど、猫にしては、顔が可愛くない。外に出しても、犬のように人の言う事を聞いて、ついてくる。8歳・人の言葉を理解する。見かけがよいか、性格がいい方がいいのか、わかれるところ。

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 先日、猫の事で、突然怒ったことがあった。路恵と悟は、三匹野良猫を拾って飼っていた。一番上が10歳で、二年おきに拾ったので、一番若い猫は、6歳である。その猫は、野良だったのに愛想がよくて、特に路恵になついていて、家の中でもついて回っていた。昼間眠る時でも、路恵が見える場所で眠っていた。路恵が立ち上がれば、すぐ目を覚まして、また別の路恵のそばで、休んでいる。それを見て、悟が、風呂に入れてやれば喜ぶんではないか?と唐突に言った。
「家で飼われている猫は、汚れてないし、猫は自分で体中をなめているので、風呂に入れる必要がないと、獣医先生が言っていたでしょう」と、路恵は何げなく言った。「気になるなら自分で入れてみれば?一度も猫を風呂に入れたこともないのに、どこからそんなことを思いついたの?」と、その話は、そのまま終わったと路恵は思っていた。テレビが、まだ災害の話を流している。それに気をとられている時、
「せっかく人が、気持ちよく話が進むと思っているのに、どうしていつも否定的なことばかり言うんだ」と、悟が気色ばんだ声で絡んできた。
「誰が言っているの?」路恵は、テレビの話の続きだと思って聞いた。
「あんただよ。いつもそうやって、俺が、何もしてないと否定する。猫を風呂に入れたことがないものは、猫を風呂に入れたらとも言えないのか?そうだねくらいの合づちを打つくらいなんでもないじゃないか」
「そういうけれど、あなたって、風呂に入れるどころか、餌やりだって何一つしないじゃないの。私は別にかまわないけれど、自分が参加したこともないことで、話しが盛り上がると思っているのが不思議。あなたは勝手だわよ」
「何!お前はいつも自分が一番だと、俺をバカにしているだろ。分かったよ。こんなことを言い出した俺が馬鹿だったよ」悟は、そう言うと、机に広げた新聞を読みだした。この物言いは、二年前の自分の母親の命日を路恵が忘れたと、腹を立てた時と似ているなと、路恵はちょっと怖いものを感じた。
 悟の母親は、彼が6歳の春、もうすぐ小学生になるという時期に腎臓を悪くして、亡くなっている。その時の様子をよく覚えているらしくて、路恵は、義理の母の写真を見る機会もないまま、母親の最期を何度も聞かされていた。それにしても、もう68歳になる大人が、いつまでも話題にすることではないと路恵が切り捨てたことがあった。その時の激怒は、ものすごいもので、「離婚しよう」とまで言った。路恵が、何をしたということでもなく、まったく顔も分からない母親について、いつまでも6歳の感情を引きずっているのは、大人げないと言ったのだった。その怒り方は、路恵を殴らんばかりであった。
 悟と路恵は、大学の同級生なので、家庭内暴力に至るケンカはしたことはなかったが、仕事上の意見違いはよくあった。たいてい悟の言う通りになって、路恵は、いつも一歩引いた。それは、納得したわけではなく、悟の頑固さに辟易しただけであった。零細の自営業だったため、お手伝いの若者を二人雇っているだけで、彼らの手前、夫婦げんかのような経営をするわけにはいかなかったからだ。
   
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           平成25年5月19日(日) 

 
初夏にしては、少し寒い日なので、二匹が寄り添い、寝ていた。
 
そのうち暑くなったと見えて、お腹丸出しになる。
二匹とも。雄猫。六キロ以上ある大猫たち。

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「それは違うよ」と言われることが多くなったなと、路恵は感じていた。もともと路恵と悟夫妻の間には、あまり日常会話はなかったけれど、たまに、路恵がテレビから得た知識を何気なく会話に入れた時、かならずと言っていいほど、「それは違う」とまず始めた。そして、持論を展開するのだが、いつも同じような結論に行きつくのであった。 
 路恵と悟は、工芸大学の同級生で、26歳の時結婚をして、もう70歳になる。室内装飾を生業とする自営業を68歳まで続けてきたが、不況が続いて、店舗の改築の仕事も減り、知り合いの工務店の閉鎖も続いたので、思い切って、二年前に事務所を閉じ、今では、自宅を連絡場所にして、パソコンにホームページを作り、そこで、仕事の受注を受けるようにした。しかしそれはなかなか、面倒であった。とくに悟は、ワードを使って人と交渉することが苦手で、それらは主に路恵の仕事になっていたが、路恵は、設計の方は、関与してこなかったので、パソコンの画面上だけで、受注を受けるのに苦労していた。たいてい、相手方が、こちらがもたついている間に、断ってきた。一年間に4件くらいしかまとめられなかったのに、パソコンは、毎日のぞかなくてはならず、70歳になった今では、仕事を受けることも面倒になり、ホームページは、閉鎖状態になっていた。
 悟の「それは違うよ」という言葉が、頻繁に出るようになったのは、一年前くらいからであった。事務所を閉じてから、仕事に関わらない日が続いた為に、悟は、急に書道を始めるといいだして、毎日、3時間くらい書き写しの勉強を始めた。図書館から手本にする拓本を借りて、それこそ毎日、中国の王義之から日本の有名な先生たちの字まで、あきれるくらい熱心にまねて書いていた。
「書道の先生について、一から習ったらどうなの?」と、路恵は進言したが、日本の書道界には、派閥があって、また先生の言うとおりでないと認められないと聞くから、今さらそんな縛られる勉強は嫌だと言って、自己流を続けていた。路恵は、もともと悟るには、学ぶということを嫌う性格があることを承知していたので、それ以上のことは言わなかった。
      
                          
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            平成25年5月17日(金)  全国的に晴れ

 『シロ』ブルーアイの真っ白の猫・気が強く、他の猫とあまり仲良くない
 満開の『ニオイバンマツリ』
香りが立つ花で、最近人気が出てきた。常緑なので、隣家との間に植えて、目隠しに使っている。

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 綾先生との仕事は、3か月ほどかかった。完成した原稿が、印刷に回された時、智子の仕事も終わった。そして、智子は、またケンブリッジ大学での研究に戻ることになった。
 智子が去ることで、悲しんだのは洋子であったが、洋子も妊娠し、智子の事ばかりに気を使ってはいられなかった。新しい仲間は、智子の事をよく分からないまま別れることになるのであった。綾先生が、少し疲れ気味なのが気になったが、まだ60歳代で、漢方の専門家でもあるので、よほどのことがなければ病気にならないと思われた。父母は、さすがに、悲しんで、高齢者を残していくのかと、母は、愚痴を言った。
「お母さんは元気でしょう。私もイギリスに籍を移すわけでもないんだから、5年くらいで帰ってくるわよ。その時は、この家に住まわせてもらうかもしれないわね。今借りてる部屋は、別の研究者が使うので、私の荷物は、一時倉庫会社に預かってもらうことにしているから、大事なものを少し家で預かって頂戴」
「智子も忙しい人生を送っているのね。若い時は、のんびりしているように見えたのにね」
「生まれの影響ってあるのね。私のこの生活は、結局、『天』家から流れてきているのだから。お父さんだって、出来るだけ神事から逃れるため、数学者になった訳でしょう。違う意味で影響を受けているわね」
 智子と家族は、お別れの食事をしなから、延々と同じような話を続けていた。それから10日後に、智子は、イギリスにわたった。
 綾先生は、長年にわたる毒の研究のせいで、内臓を痛めていた。漢方薬を使って、免疫と再生力を維持していたが、少しづつ、忍耐力を失っていた。そのことに気付いていたのは、アデール華子姉妹で、夕食は、華子の家で取るように勧められ、今では、洋子が、体にいいと思われる食事を工夫して、綾先生を支えていた。研究室は、恵美先生が実質の所長となり、育苗家たちの手伝いのほか、全国のサボテン公園の首席アドバイザーを引き受けていた。彼女は今が働き盛りの年であった。徐々に、新しい所員が、責任ある仕事を引き受け、『植物相談センター』らしい形が整っていた。綾先生は、ほとんど研究室には出向かず、今では、智子側から来る研究の翻訳を引き受け、大学の資料作りを手伝っていた。
 華子の若者向けファンタジー小説も読者層が安定していて、贅沢なマンションを維持できていた。
 誰もが、それぞれの場で、満足して暮らしている中で、ある家族の怨念が、その後何年か後に、実行されるとは、この時点ではわからなかったし、そのターゲットは、研究室にはかかわりのないことであった。

                     完

 『智子さんの守護霊』は、完結しました。長い間購読くださいまして、ありがとうございました。しばらく、〈猫と花の今日〉のブログで参加させていただきます。次は、宗像幸代さんを中心とした話しを書くつもりです。今後ともよろしくお願いします。
   

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