平成25年6月7日(金) 

 『よっちゃん』が、昨日尿路結石になって、大至急獣医さんに連れて行きました。幸い、まだたまっていなくて、なんとか薬で解決できるとのことでした。カリカリに結石を起こさせやすい種類があるのです。特に雄猫がやられます。一日に何度もトイレに行くのに小さじ一杯くらいしか出ないときは、結石を疑って下さい。今日は、回復しつつあります。

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 習字を始めた悟は、朝早い時は、4時半ごろから書きはじめ、路恵が八時ごろ起きると、食事もすでに済ませているという生活になっていた。たいてい、前日の夜ご飯と汁もの、買い置きのつくだ煮などで済ませ、路恵は、トーストとコーヒーという簡単なメニューで朝食は済ませていた。食事に関して言えば、家に引っ込んでからは、実に簡素になり、路恵が責任もってつくるのは、夕食だけで、昼食も、悟が用意した。材料は、路恵が買っていたが、それらを使って、悟が、自発的に昼食を用意した。
 路恵が、パソコンで仕事をしてくれているので、悪いと思ったからのようであった。若い時に、自炊をした経験くらいしかない悟の作るものは、インスタントのラーメン、ホットケーキ、そうめんやスパゲティをゆでて、出来合いのたれで食べるなどで、美味しいというものではなかったが、悟が昼食を作ってくれる分、路恵は一日を効率よく使えた。自分の食事の世話ができることで、路恵は、昼の外出も長時間気軽にできた。
 朝早くから書道に打ち込む悟に、路恵が『公募ガイド』から知った、書のコンクールの事を教えて、参加したらと情報を渡したら、珍しくその公募に参加する気になり、独特に字を書いて出品した。何か月かして、主催者から書の成績が来た。一級というランクであった。悟は嬉しそうに、子供たちに披露していたが、娘に、私は一段よ。と、かつて小学生の時、習っていた教室で得た段のことを言って、一級なんて問題にもならないと一蹴されていた。それ以来、コンクールや展覧会などの参加に、一切興味を見せなくなっていた。そのくせ、他人の字には、あれこれ批評めいたことを言って、家の中では、いつも大先生であった。路恵は、書に興味がなく、悟が、突然、書に興味を持った理由がよくわからなかった。おまけにそれに打ち込む熱心さに驚かされるばかりであった。二年で、かつての暮らしはすっかり忘れ去られ、悟の頭の中には、店舗設計で忙しくしていた45年がないかのようであった。そのことを話題にすることも怖いような感じであった。一度、なぜ大学で専攻して、45年も仕事に関わった建築デザインを続けないのかと詰問したことがあった。路恵にしてみれば、彼女自身も同じ専攻で、本当なら、彼女の作品も残したかったのだが、事務の忙しさに追われて、気が付いたら70歳という高齢で、今できることと言ったら、名所旧跡の建物を見るくらいだろうと思うにしても、悟が、きっぱりと建築デザインから離れて、今さらはじめても遅いと思われる日本の伝統文化に本格的に取り組もうとする態度は、本物なのか、なぜ、今まで積み上げてきたものを否定するがごとく無視するのか、路恵が困惑している悟の生活であった。二人の暮らしは、自分たちで入っていた厚生年金であったので、日々暮すには困らなかった。かつて、景気よく仕事ができたおかげであった。

                                                                 
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            平成25年6月6日(木) 

 庭のホタルブクロ。今年はとても風情よく咲いている
 今朝は寒かったらしく、左の『タロウ』という猫が『まる』に寄り添って寝ていた。時々頭や首筋をなめて、おべんちゃらをしている。

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 悟は、若い時から、時々株を買っていた。新聞に載った企業の新しい発明を頼りに、これからこの会社の株が上がると言って、100万単位で購入したりしていたが、新聞に載った時は、その株価が、最高値であったので、高買いになっていた。おまけに余裕のあるお金ではなかったので、そのうちその100万が入用になり、株を売ってほしいと、路恵が頼んだ時は、二割は損をして、80万で売らなければならない結果になった。それでも若い内は、仕事のもうけの方が大きく、20万~30万の損失を嘆く必要はなかった。悟は、テレビで毎日株の動きを見ていたが、数字をノートに控えて、グラフを自分で作るなどの丁寧な取り組みはしなかった。そんな態度で、70歳に至るまでに、何回も株で損をしてきた。不動産を売った時は、まさかこんな大震災が起こるとも思っていなかったので、「今度は大丈夫」と言われて、残ったお金をまた懲りずに大部分株に替えたが、震災と民主党の無様な政治のおかげで、株価は低迷し、凍結して二年がたち、アベノミックスのおかげで、この頃やっと、元の値に近づいているらしかった。
 悟は、店舗設計のコンクールで、特賞をとったことがあって、それ以来、割のいい仕事が来るようになった。悟の店舗デザインは、どこか温かいものがあって、固定客も増えていた。そういう店舗は、支店も多く持っていて、仕事に困らない日々が長く続き、路恵は、利益で不動産を購入していた。それでも常に借入金はあって、良い木材が出たからとか、イタリアの大理石を買いおくなど、お金はいつも必要であった。仕事は、順調に続くかと思われるほどであったが、60歳を超える頃から、小売業が不景気感を見せ始め、固定客の支店の閉鎖も続き、買置いている材料を使うこともなくなり、資材置き場の賃料もこたえるようになった。まず、人件費を節約することで、二人の助手には、相応の退職金を払い、転職してもらった。資材のほとんどは、大手企業に仕入れ値の20%で引き取ってもらい、事務所だけを残していたが、五年後には、そこも引き払い、そしてパソコンでの店舗展開を始めたというわけである。
 悟は、パソコンを使わない世代で、店舗設計も昔ながらの計算機を使って数字を出していた。設計のソフトは高かったが、若い助手たちのために、パソコンは購入して、そのソフトを使って若い者たちは、任された仕事をこなしていた。彼らの操作を見ていると、今にパソコンが使えないと、仕事はできなくなると思わせられた。彼らに、今のうちにパソコン操作を教えてもらっとけば、と路恵は、悟に言っていたのだけれど、結局悟は、パソコンの操作が苦手な仲間入りをする羽目になった。路恵は、区のボランティアが主催するパソコン教室に50時間通って、ワードからエクセルまで使いこなせるようになっていた。そのため、今では悟に便利に使われて、パソコン関係は、路恵の仕事になっている。
 
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           平成25年6月4日(火) 

 食事に通ってきていた『チャオ』という名の飼い猫・約20歳  5月26日(日)に老衰にて亡くなる。89歳の飼い主の方が伝えてくれた。彼の食事の保存分を全部いただいた。
写真は、4月の中頃撮る。帰宅する後姿が侘びしく、いつも姿が見えなくなるまで見送った。

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「お父さん何だか怒りっぽくなった?」と里帰りしていた娘が言う。
「そうなのよ。怒るとは思ってもいなかった言葉に、突っかかってくるので、私の方がやり返すことになって、もっと大ごとになることがあるのよ」
「ボケてきたんじゃないの?仕事を止めたんでしょう。よく男の人って、仕事から離れると、一ぺんにボケると良く聞くけれど、そんな気配を見せているのかしら」もうすぐ40歳になる娘が、分かったように言うが、路恵もこの頃、悟との会話が、成り立っていないなと思っていた。
 店舗設計の仕事が順調な時でさえ、悟と世俗的な会話があったとは言えなかったが、仕事がらみの会話はあったので、40年間、それが二人の会話であったのだ。仕事が抜けると、二人の間に共通の話題がなくなった。悟は、よく政治討論をテレビで見ていて、政治家どもの発言にいちいち突っかかっていた。「そうじゃないだろう。お前らの方が間違っているんだ」と、テレビに叫んだりしているので、路恵は、そんなに腹が立つのなら、新聞に投稿してみたら、場合によったら、載せてもらえるし、文章を書くということで、考えをまとめることもできるじゃないと、悟は、絶対そんなことはしないなと思いながら言った。
「無駄だよ。新聞に載っても誰も読まんだろ」
「そんなことないわよ。九十二歳の母は、いつも読者欄を楽しみに読んでいるってよ。読んでる人は結構いるのよ」
「お前が書けばいいじゃないか。政治には、みんな関心を持つべきなんだから」
「私たちの年齢は、もう政治をどうかできる年でもないから、政治家のやることを見守ることくらいしかできないわね」路恵が、珍しく悟の言葉に呼応して、彼女自身は、興味のない政治の話を続けたが、悟の方が、その話に飽きたらしく、政治討論のテレビの方に気を向けてしまった。その後おとしくなったので、路恵がちらっと悟を見ると、リクライニングの椅子に身を任せて、いびきをかいていた。
 悟が、政治の話に興味を持ち出したのは、民主党政権になった頃で、自民党時代の末期ごろからひどくなっていくデフレ不況が、悟の仕事先の減少につながり、期待した民主党政権はもっと非現実的な政治を行って、零細企業が翻弄されだした頃からであった。きっと、仕事がうまくいかなくなったのは、政治のせいだと思いだしたのだろう。事務所の閉店にあたって、景気の良かったとき買った都内のマンションや八ヶ岳のすそ野の別荘も手放した。それで、借入金の返済をしたのだった。残った一千万の内七百万で、株を買ったのだが、その後の大震災で、株も値下がり、そのまま凍結という状態が二年続いていた。 
 
                            
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