平成25年6月13日(木)  台風3号の影響・関東地区のみ雨

 工事になってしまったかつての野良猫たちの住まい。だんだんその場から離れていくらしく、猫の数が減っていると、餌やりの婦人が言っていた。

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 悟の認知症は、アルツハイマーとは違って、海馬の部分の老化から来るものらしい。悟は、若い時から、代名詞で物を指摘して、「あれ、これ」で済ませてきた。社員や路恵たちが彼の要求するものを理解して、正しい名前を言って、彼の思うことを片づけてきたようなことを続けていたので、悟が、最近になって「あれこれ」を多発するからと言って、路恵は、そんなに気にしていなかった。ただ、神経科の先生が、「日にちの認識ができてませんね。これは、老化の一現象です」と言ってくれてから、気にすると、一日に、何度も「今日は、何にちっだったか?」と聞くことが多いことが分かった。居間には、大きな日めくりがあって、それを見れば日にちが分かるのだが、悟は、今までそのカレンダーを見たことがなかったようで、路恵が「この大きな字が今日の日にちだから」と言っても、そのことは頭に入らないようであった。
 「習字の練習する時、まず日にちを書いてから始めたら」と提案しても彼が思いついたことでないと、実行されず、相変わらず、今日は何日?と聞き続けてくる。それだけならいつものことだと思えるのだが、様々な日常の事柄を代名詞で言いすぎると思われた。テレビのリモコンなんか、かつてはテレビ棒と言っていたが、今では、テレビのあれになって、「リモコンというのよ」と路恵が言うと、「そんな名前初めて聞くな」と言うしまつ。そのようにものの名前が、すぐに出なくなってきているのと、新しく覚えた電化製品の操作を覚えていられないらしかった。テレビの録画などの操作さえ、毎回路恵に聞き、満足していた。確かに今の電化製品は、洗濯機や掃除機でさえ操作は習わないと動かせないくらい複雑になって、代わりに掃除をしてもらうことも頼めない始末である。
 事務所を自宅にして、パソコン上にホームページを開いて仕事を続けると決めた時、悟は、パソコン教室に通って、一応、基本は習っているのだが、家に引きこもってから、パソコンは、路恵に任せて、二年間一度も自分から操作することはなかった。始めの頃、検索ぐらいできるでしょうと路恵に言われ、試みたらしいけれど、パソコンを消す操作を忘れてしまい、そのため、パソコンに電源を入れることを怖がって、今では、使い方もすっかり抜けてしまっていた。
 「記憶をつかさどる海馬を活性化させるのは、好奇心とその実行ですから」と神経科の先生に言われていたが、好奇心を推進させるのは、能力なのではないかと路恵は思うのであった。
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           平成25年6月12日(水) 

 生まれて、一ヵ頃から育てた6歳の『新参者・略してシン』です。この一年少し臆病になり、捕まらなくなりました。家の中で野良猫になっています。この毛色の猫は、臆病かもしれません。一番困っているのは、あちこちに尿を匂いつけのようにすることです。雄の猫は、6歳ごろから、去勢してあっても他の猫に対する縄張り意識からか、スプレー行為をはじめて、実際出てくるのです。17歳と15歳の猫が、10年間、スプレーをし続けて、家の家具のほとんどにその跡が見られます。上等の家具も台無しです。やっと彼らが亡くなって、それから解放されたかと思っていたので、まだ4匹いる雄猫が、その機能をよみがえらせないことを願ってます。

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 悟の骨折は、三ヶ月経つ頃から、杖は手放せなくなってはいたが、なんとか一人で歩けるまでに回復した。病院でのリハビリも一週間に一度通うので済んでいた。そのたび、路恵は付添い、神経科の先生から悟の認知症の様子を聞いていた。先生によると、かすかにその症状はみられるけれど、薬と運動と生活に好奇心を持つことで、進行をおさえることができるということを聞いていた。薬は、整形外科の中にうまく紛れ込ませて、たぶん精神安定剤などが入っていると思われた。
 認知症のことは、悟に言ってなかった。そんなことを言うと、リハビリにもいかなくなりそうで、路恵は、担当の精神科の先生を内科の先生と紹介していた。高齢での骨折や打撲は内臓も痛めている恐れがあるからとごまかしていた。悟をだますのは、並大抵ではなく、自分に関わることでは、いつでも彼が決めている正義の中に存在していなくてはならなかった。だから、医者ですら信じてないこともあった。
 認知症を防ぐには、自分で生活のいろいろに興味を示し、参加してみようという意志が必要であったが、こればかりは、45年間一度も成功してないのに、無理なことであった。唯一自分から始めたことが、習字であったが、一人で黙々と何時間も偉人の字を書き写すだけの行為は、頭にとって効果が出る分野ではなかったのだ。コンクールに参加するとか、友達同士の会を作るとかすれば、全然違うのだが、人とできるだけ関わりたくないと思っている悟に今さら何を言っても変わる訳もなかっただろう。運動は、もっとヤル気が起きてなかったので、少しづつ歩く姿が老人化していった。リハビリに通うことが、必要なくなってから、半年くらいは、路恵がついて、近くの公園を周回する散歩に連れ出していたが、だんだん足の筋肉を失って、歩くと、痛みが出るようになって、散歩に出るのも嫌がるようになった。
「少し努力しないと、本当に歩けなくなるのよ」と路恵は、時々言わざるを得なかった。そのたび、「人が痛がっているのに、いい気なもんだ」とか「俺が早く死ねばいいと思っているだろう」などと嫌味ばかり言う。これらの言葉が、嫌味程度ならいいのだけれど、本当にそう思うようになる時が怖いなと感じていた。時に訪ねてくる子供たちは、「お父さん急に老けたわね」と路恵にこっそり言い始めた。さすがに父親に面ということは避けていた。「介護を申請したら?」とも言われたが、そんなことを言い出そうものなら、何されるか分からないと思えた。路恵は、45年の間、悟と同等の会話をすることをすっかりあきらめていた。
  
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           平成25年6月11日(火) 

 猫は草を求める。我が家で飼っている猫たちは、隣近所が猫嫌いのため、家の中でしか暮らせず、可哀そうなのです。外で干した布団を取り入れると、その匂いに体を擦り付けるなど、外を恋しがっているのが分かりますが、人が危なくて、外には出せません。猫は、イネ科の草を欲しがり、時に毛玉を吐く薬になっています。今、イネ科の植物が芽生えて、綺麗な新芽が収穫できます。

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 二人の結婚生活は、このままあたりさわりなく続いていくと思われていた。悟は早起きをして、4時間くらい習字に取り組み、その後、新聞を読んだり、株式のテレビや政治討論の番組を見たりと、硬い生活をしていた。若い時から、テレビドラマも映画にも興味を持たず、そのためその方面の話を路恵とすることもなかった。 夕食後は、かつては、お笑いの番組を見ることはあったが、今は、スポーツの番組だけを見ている。しかしそれらの番組を見ているとはいえ、いつも途中から眠っているのに路恵は気づいていた。眠っていてくれると静かなので、路恵はそれを良しとしていたが、おかげで、路恵は、夜のゴールデンタイムに好きなドラマを見ることはできなかった。幸い、今のテレビには録画機能があるので、悟が寝てから、一人で録画を見ていた。
 悟は、若い時から夜が早く、十時には眠っていた。路恵は、決算やデザインの校正などの仕事を常に抱えていて、いつも夜更かしをしていたが、この二年は、仕事が無くなったせいもあって、十二時には寝られるようになり、前よりすっと健康的な生活を送れるようになっていた。
 そんな時、悟が自転車事故を起こして、左足の太ももを骨折してしまった。事務所をたたんだ時、車も手放したので、代わりに自転車を使っていたのだ。太ももの骨折だったので、入院しなくてはならず、近くの大学病院の6人部屋に入院した。悟は、あまり運動神経が無く、自転車の乗り方もどこかぎこちなかったのだが、常日頃から足腰を鍛えるという積極的な生き方をしていなかったので、どうも骨が弱っていたと見え、あまり使わない左足を痛めてしまったのだ。入院生活は、20日になり、これ以上ここにいたくないという悟の意志で、自宅に戻ったが、それからの路恵の忙しさといったら、寝てる時間も取れないくらいになった。悟は、一日中眠っているようなものなので、夜でも、やたらと路恵をおこし、水が飲みたいとか、トイレだとか我儘放題であった。一か月たつと、ギブスがとれ、もっと動きやすいサポーターに変わった。杖を使えば何とか動けるようになったのだが、いつも路恵の手助けを要求した。ある時、「そんなに私を頼らず、一人で動けるでしょう。少し動かないとますます足が動かなくなるらしいわよ」と言ったら、いきなり、彼の杖が飛んできて、「まだ俺をいじめ足りないのか」と怒鳴ってきた。足が折れたのは、路恵のせいなんだと言わんばかりであった。
 悟は、病院にいた時、他の患者さんと話すこともなく、テレビも見ず、ほとんど眠っていたようだった。看護の世話ややマッサージなどを受ける時も、彼らと話すこともなく、路恵にさえ、短い単語を言うくらいであった。あるとき看護婦さんに、「御主事人の表情が気になりますね。もっと人と会話するよう促してあげてください」と言われた。それがどんなに重要なことであったか、考える暇もないほど、路恵は、病院への行き来や悟の看護で、てんてこ舞いであった。もともと悟は、人と日常会話をしたりしない方であったので、看護婦さんに言われても、いつもこんな風なのにと思うくらいであった。
 家へ戻ると、介護用のベッドを借りて、居間に置き、テレビを見たりして時間を過ごしてもらうようにしたが、テレビがついていてもほとんど意識の中に入っていないようであった。そうして、10日過ぎて、路恵に言った形のある言葉が、「俺をいじめ足りないのか」であったので、路恵は、初めて悟の異常さに気がついた。おかしい?、認知症なのか?
 骨折から認知症に進むことがある。ということは聞いていたが、彼が認知症になりつつあるとしたらどうしたらいいのだろう。入院していた大学病院で相談したいと思った。子供たちは、頼りにならなかった。父親が入院しているというのに、骨折くらい時間が来れば治るという態度で、20日間の入院で日曜日だけ来て、30分もしたら帰っていった。悟も子供も共に暮らしていた時から、会話がなかったので、入院したからと言って、話すこともなかったのは仕方なかった。
 認知症と分かれば、施設にいれたらと言いかねない子供たちであった。悟は、リハビリのため、週二回、大学病院に行っていたので、路恵は、悟には気づかれないように、担当してくれた看護婦さんに相談して、彼の症状は、認知症なのか、性格なのか見てもらうことにした。彼女は、担当の医者に観察してもらいましょうと言ってくれた。リハビリルームに若い精神科の先生が来て、悟にいろいろ話しかけていた。悟は、見知らぬ若い先生にあれこれ聞かれるのをうるさそうにしていたが、それでも一応の応対はしていた。つい二年前までは、仕事をしていて、顧客とまっとうな応対をしていたのだから、まったく会話が苦手というわけではないのだから、しっかりした会話をしていたようだった。
              

                      
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