『しまちゃん』のために用意する朝ごはんだけれど、雨の降る日は来ないところを見ると、飼い猫らしい。パンと猫缶を家の猫たちと同じ量を与えているけれど、置きっぱなしにはせず、来たのが分かった時、皿を口元に置くようにしている。置きっぱなしにすると新しい野良がやってくるので、それは気を付けている。この辺りは野原ではないので、近所の手前やたらなことはできない。右のお皿は、鳥のための豆粒が入っている。*
悟と路恵が住んでいる街は、都心に出るのに50分くらいかかるが、通勤の一時間圏内は、勤め人にとって、便利な場所と思われていて、廻りの家庭は、サラリーマンが多かった。あまり自営業の家はなく、事務所をたたんでから、自宅を事務所にすること自体、先はなかったのだ。パソコンで仕事というのは限られていて、パソコン利用者の多くは、自家製の作品を買うなどしか利用してなかった。店舗デザインに特徴でもない限り、ただの店舗設計者では、だれも信用しなかったのだろう。対面での仕事を続け過ぎて、パソコンを利用するという考えは、アイディアはよし、実行不可能に近かった。路恵は、その考えを持ち出された時から、店を続ける意欲は失せていたので、真剣にその方面を研究することなどの応援はせず、委縮していく店の状態をやっとこの暮らしから解放されるとまで思っていた。
彼女も建築関係のコースを大学で学んではいたが、本当に興味を持っていたのは、彫金であった。しかしこの分野も70歳から始めるには、体力と資金がいるので、手がけるのは止めていた。それでも店舗を片づけたので、時間ができ、布で作るコサージュを作り始めた。100点くらい作った時、一部を地域のショッピングセンターの事務所に見せて、小さな場所を借りて、展示即売をさせてもらった。都心の郊外には、コサージュを理解する夫人も多く、一週間に、ほとんど売れて、かなりの利益を上げた。「次はいつやりますか」とも聞かれたので、路恵はこれからこれを自分の張り合いにしようと決めて、ソファーで寝続ける悟のそばで、テーブルに布を散らし、細かい仕事をしていた。悟は時々目を覚ますが、いつも路恵がいるのを確かめて、安心しているようであった。
手の傷は、ひびが入った程度なので、一か月もすると、医者の通院は終わったが、固まった筋肉を和らげるためのリハビリは必要であった。その日は、息子の車を借り、リハビリセンターに連れて行った。家でも自分でリハビリを続ければ、もっと早く回復するのだが、自分で何かをするという意欲が失われつつあった。一週間に二回、一時間くらいのリハビリ訓練では、体の筋肉は、なかなか柔らかくはならず、返って体をいじられる方が苦痛になるようであった。
リハビリセンターに一か月かよった頃、「もう治ったから、センターにはいかん」と、言い出した。「じゃまた散歩をする?」と路恵が言うと、「また転んではたまらんからな、お前は俺が早く死んでほしいのか」と、とんでもないことを言い出す。そうかもしれないと思いたいくらいであった。
まだトイレの沮喪がない分、楽な方らしいが、足の骨折時は、トイレに連れて行って、後始末はしなければならなかった。手のひびの時は、洋服を着せてやらなければならず、毎日大きな赤ん坊の面倒を見ているようであった。二人の間には、もう日常会話はなく、悟の要求の言語が二人の言葉のやり取りとなった。幸い、悟は徘徊をせず、眠っていることが多いので、その点楽な認知症であった。子供たちは寄り付かなくなり、たまに電話が来るくらいで、「お母さんが倒れたら、私たちはお父さんを施設に入れるからね」と冷たいことを言っている。自分が育てた子供なのに、どうしてこんなに冷たい子に育ったんだろうと思わずにはいられなかった。「お父さんは、そんなに馬鹿でもないわよ。ただ、運動不足で、筋力が落ちているのが心配なのよ。また散歩に出かけられるといいのだけれど、転んだりすることを怖がって、出かけようとしないのよ」このままでは車いすになってしまうと、路恵は、やはり公園までの散歩をしようと思うのであった。


