平成25年6月16日(日) 

 『しまちゃん』のために用意する朝ごはんだけれど、雨の降る日は来ないところを見ると、飼い猫らしい。パンと猫缶を家の猫たちと同じ量を与えているけれど、置きっぱなしにはせず、来たのが分かった時、皿を口元に置くようにしている。置きっぱなしにすると新しい野良がやってくるので、それは気を付けている。この辺りは野原ではないので、近所の手前やたらなことはできない。右のお皿は、鳥のための豆粒が入っている。

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 悟と路恵が住んでいる街は、都心に出るのに50分くらいかかるが、通勤の一時間圏内は、勤め人にとって、便利な場所と思われていて、廻りの家庭は、サラリーマンが多かった。あまり自営業の家はなく、事務所をたたんでから、自宅を事務所にすること自体、先はなかったのだ。パソコンで仕事というのは限られていて、パソコン利用者の多くは、自家製の作品を買うなどしか利用してなかった。店舗デザインに特徴でもない限り、ただの店舗設計者では、だれも信用しなかったのだろう。対面での仕事を続け過ぎて、パソコンを利用するという考えは、アイディアはよし、実行不可能に近かった。路恵は、その考えを持ち出された時から、店を続ける意欲は失せていたので、真剣にその方面を研究することなどの応援はせず、委縮していく店の状態をやっとこの暮らしから解放されるとまで思っていた。
 彼女も建築関係のコースを大学で学んではいたが、本当に興味を持っていたのは、彫金であった。しかしこの分野も70歳から始めるには、体力と資金がいるので、手がけるのは止めていた。それでも店舗を片づけたので、時間ができ、布で作るコサージュを作り始めた。100点くらい作った時、一部を地域のショッピングセンターの事務所に見せて、小さな場所を借りて、展示即売をさせてもらった。都心の郊外には、コサージュを理解する夫人も多く、一週間に、ほとんど売れて、かなりの利益を上げた。「次はいつやりますか」とも聞かれたので、路恵はこれからこれを自分の張り合いにしようと決めて、ソファーで寝続ける悟のそばで、テーブルに布を散らし、細かい仕事をしていた。悟は時々目を覚ますが、いつも路恵がいるのを確かめて、安心しているようであった。
 手の傷は、ひびが入った程度なので、一か月もすると、医者の通院は終わったが、固まった筋肉を和らげるためのリハビリは必要であった。その日は、息子の車を借り、リハビリセンターに連れて行った。家でも自分でリハビリを続ければ、もっと早く回復するのだが、自分で何かをするという意欲が失われつつあった。一週間に二回、一時間くらいのリハビリ訓練では、体の筋肉は、なかなか柔らかくはならず、返って体をいじられる方が苦痛になるようであった。
 リハビリセンターに一か月かよった頃、「もう治ったから、センターにはいかん」と、言い出した。「じゃまた散歩をする?」と路恵が言うと、「また転んではたまらんからな、お前は俺が早く死んでほしいのか」と、とんでもないことを言い出す。そうかもしれないと思いたいくらいであった。
 まだトイレの沮喪がない分、楽な方らしいが、足の骨折時は、トイレに連れて行って、後始末はしなければならなかった。手のひびの時は、洋服を着せてやらなければならず、毎日大きな赤ん坊の面倒を見ているようであった。二人の間には、もう日常会話はなく、悟の要求の言語が二人の言葉のやり取りとなった。幸い、悟は徘徊をせず、眠っていることが多いので、その点楽な認知症であった。子供たちは寄り付かなくなり、たまに電話が来るくらいで、「お母さんが倒れたら、私たちはお父さんを施設に入れるからね」と冷たいことを言っている。自分が育てた子供なのに、どうしてこんなに冷たい子に育ったんだろうと思わずにはいられなかった。「お父さんは、そんなに馬鹿でもないわよ。ただ、運動不足で、筋力が落ちているのが心配なのよ。また散歩に出かけられるといいのだけれど、転んだりすることを怖がって、出かけようとしないのよ」このままでは車いすになってしまうと、路恵は、やはり公園までの散歩をしようと思うのであった。

                              
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           平成25年6月15日(土)     

 『よっちゃん』パパが机に座って新聞を読みだすと、その新聞の上に座ることを好む。

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 悟の記憶は、毎日の生活に影響があった。眼鏡が見つからないとたびたび騒いだ。新聞や書道の本も路恵が探しだしていた。新しい記憶を留めておくことができないようであった。それでも古い記憶はまだ生きているので、悟は、自分が病気になっているという自覚はなく、ただ、探し物が見つからないと大声を出して、「どこにあるんだ。隠したのか」などと、今まで使ったことのない言い方が始まっていた。
 この病気の薬に睡眠薬もあるらしく、彼は、一日の大半を、ソファに横になって眠っていたので、その間に路恵は、買い物に出かけた。こんなになるなら小型車でも買いたいと思わせられた。自転車では、買える量が限られていて、おまけに自力でこぐ古いタイプの自転車なので、坂道はきつく、押して上がった。
 子供たちは、父親が認知症になりつつあると知って、介護を頼んで、路恵の負担を軽減するよう進言してくれたが、細かい事は、確かに異常なほどできなくなっているが、まだ今までの彼とそう違いはないと思え、介護が始まると、お父さん自身が病気を自覚して、もっと変になりそうだから、このままでいいわ。と介護を利用することは止めていた。デイサービスを利用することも考えられたが、まだ新聞は読んでいて、政治や経済批判をしているのだから、老人ばかりの会で、歌ったり運動したりするのは、出来そうもないと思われた。
 だんだん習字も面倒になってきているらしく、書くことは止めてしまったが、習字の本はよく読んでいた。その感想を路恵に得々と話すのだが、路恵は、裁縫をしながらうんうんと聞くだけであった。「書くことは止めたの?」と聞くと、悟は少し悲しそうな顔をした。「筆を持つと疲れるんだよな」という。運動不足なんだ。と路恵は気づいた。寝てばかりでは、足腰の筋肉が落ち、また全身も同じように筋肉が落ちているのだろうと思えた。確かに、5キロくらい痩せてきていた。
「毎日、朝散歩しましょうか。きっと体には、効果が出るわよ」
「そうだな、面倒だけれど、足を鍛えないと頭が馬鹿になるっていうしな」悟は、今日はいやに素直に路恵のいう事を聞いた。
 早速、翌日の朝9時ごろから、近所の公園まで歩き、一度休んでから公園を周った。大きな公園だったので、戻ったら一時間近く外で過ごしていた。陽に当たり、木の下のフィトンチットで癒され、これは悟にも路恵にも健康上最適の環境だと思えた。ほとんど毎日、決まった時間、一か月続けた頃、雨が上がった直後の公園で、悟が転んで、右手の骨にひびが入った。もともと骨粗鬆症気味だったので、強打すると、骨がやられるのだ。また病院の整形外科のお世話になった。今度は、入院する必要はなかったが、右手が使えなくなり、食事は、路恵が食べさせた。そのため汁物の料理が多くなった。昼は、サンドイッチにして、左手でも食べられるメニューであった。せっかくうまくいっていた散歩は、中止せざるをえなく、悟は、前よりソファーで過ごすことが多くなり、一日中寝ているようになった。
                     
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            平成25年6月14日(金)   

 サバ虎模様の猫が、時々通ってくる。昨年の5月から来ているとメモにはあって、鳥にやっていたパンを食べに来ていた。時々しか見ないので、飼い猫だと思っている。最近、天気がいいと、我が家の木の下で寝ていることもあって気になる。この猫用にご飯は用意している。『縞ちゃん』と呼んでいる。小型の猫なので、雌猫ではないかと思っていてるが、一年間、妊娠した様子もないので避妊の手術を受けているのかもしれない。それはそれで、助かる。

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 悟が、認知症の初期から手当てをはじめていたら、後に手の施しようもない状態になるのをもう少し遅らせたかもしれないと思われたが、常日頃から、自分は健康で、病気知らずだと自信満々な彼に、健康診断を受ける年齢だということを納得させるのも難しく、そのため70歳過ぎても健康診断も受けたことがなかった。 そのことが自慢らしい彼に、認知症の検査を受けたらとは言えなかった。
 今回、骨折という止むおえない事情で、体の検査が行なわれて、まさに怪我の光明的幸運だったと言える。自慢するだけあって、高血圧や高脂血症、糖尿病、癌の気配など生活習慣病と言われる値はなにも出ていない。それだけに、一般的とは言えない脳の海馬の衰えということを理解するとは思えなかった。そんなことを言うと、医者の陰謀だ。何か悪いところを見つけようとしている。と疑うような性格だった。
 アルツハイマー病の場合は、たいていの人が、自分で、変だと気づくそうで、進んで検査を受けると聞いているが、老化による脳の衰えは誰でも病気とは感じにくいだろう。悟はとくに老化ということが嫌いだった。
 ある時、一人で銀座に出かけた。夕方になっても連絡もなく、心配になった路恵が、彼の携帯に電話をすると警官が出た。御主人は、渋谷の交番に保護されていますから、迎えに来てくださいと言われた。警察によると、銀座でうろうろしているところを不審に思われ、保護されたそうである。彼自身、警察に保護されたことで、気持ちが萎縮して、何を聞いてもこたえず、渋谷が近い駅だとやっと聞き出して、パトカーで、交番に送られてきたとのことだった。携帯は持ってないというので、持ち物の検査もしないでいたところ、路恵が鳴らした着信音で携帯を持っていることが分かって、警官が出たというわけであった。身寄りが分かって良かったと言われた。警察官の話では、認知症が進んでいるのではと言われた。
 この日を境に、さすがの悟も自分が少し変だと思うようになったらしく、病院での検査を受けることを承知した。検査は、物覚えが正常か?とか細かいものがつかめるかなど、子供の遊びのようなことが繰り返され、そのほとんどをどうやっていいのかが分からないみたいであった。悟は、正常でもこういう事に馴れておらず、やり方にもたついて、結果認知症と認定されかねないと、路恵はおかしかった。結果は、すごく悪く、認知症の中程度になっていると言われた。路恵は、この検査では悟の本当のところは分からないなと思えた。悟は、日常の何でもないことでも新しいことだと、やり方に馴れるのに時間がかかったのだ。結果が中程度でも路恵は、構わなかったが、問題は出された薬である。中程度のランクの薬では、きつすぎるのではないかと思われたが、本当に中程度かもしれないのだから、まずは、処方薬を正しく飲むことで、寝たきり認知症だけにはしたくなかった。そうはいっても体が元気な認知症も徘徊等を起こすと聞いているし、面倒なことになってきたと、路恵は腹が立ってきた。もともと、あまりに世間に関わらなかったことによる彼の弊害で、罰が当たったと言えるとは思いながら、路恵にとっても罰が当たっていると思えた。それが腹立たしかった。
  
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