平成25年2月16日(土) 

 
『シロ』ちゃんは、いつも不機嫌。基本的に、猫は群れをつくらないと言われていて、猫団子にはなっても、一匹で行動するのが好きそう。他の猫も、縄張り争いをするわけでもないけれど、一匹で動いている。

                     *

 佐渡と聞くと、金山で有名だが、離島で、熊や鹿・イノノシシなどの大型の野生動物が入り込まなかったので、日本古来の植物が、荒らされずにある。それで植物を愛でる人々に好まれている場所でもある。島の最北には、〈トビシマカンゾウ〉という花が、智子たちが訪ねる頃花盛りとなる。そのあたりは、平原が広がり、植物を愛でるには絶好の場所で、今回は、レンタカーを借りて、島を出来るだけ回ることになっていた。
 佐渡へは、東京駅から上越新幹線に乗り、新潟駅まで行き、あとは新潟交通バスと佐渡汽船で、約6時間くらいで、佐渡の両津港につく。前もって予約してあるレンタカーを借りて、ひとまず宿に落ちつ置いた。宿は、佐渡の中心部にある観光ホテルを利用することにした。4泊もするので、ホテルの方がいいだろうということになった。
 久しぶりに、綾小路先生と二人っきりで話す時間があり、この旅の間に、智子はずいぶんと自分自身のことを知った。そもそもは、K-30という霊が、綾先生に助けを求めに行ったことから始まったということであった。たまたま智子が、面白がって、占いの館を訪ねたことが原因で、宗像幸代という強烈な個性と出会ってしまい、K-30だけでは、智子を守りきれないと判断したということであった。宗像さんは、思うに新興宗教を立ち上げようとしていて、助手を何人か集めているように思う。というのが綾先生の分析であった。智子がなかなか植物の分野に入ってこなかったのは、K-30の生い立ちによるところがあるという。母親が、魔女裁判の疑いをかけられて、父親によって、城の奥深く隠されたのはいいけれど、もともと外で植物を育てていた母親にとっては、拷問のような日々だったのだろう。そのため精神に障害が出て、塔から転落するという痛ましい事故で亡くなり、その時、離婚され自宅に戻っていたK-30は、まだ28歳くらいだったので、大きな打撃を受けて、その後の彼女の生活に影を落としたらしいと、綾先生は、大きくため息をついた。
「植物の怖さを知ったK-30は、智子さんに植物を学ばせるのがいいかどうか迷っているうち、思いのほかあなたの年齢が行ってしまったというわけでしょう。それはそれで、大人になってからでも十分間に合う分野だから構わないけれど、あなた自身の精神力がしっかりしてないと、彼女も実力を出し切れないのよ。やはり思いもかけない事故で、30歳で亡くなり、やりたかった研究もあるらしく、智子さんに期待しているのよ。植物の名の学名が早く覚えられるのは、彼女のおかげよね。霊たちは、昼間は、ほとんど眠っているのよ。そうしないと、人間の肉体の方が、ストレスを受けて、心臓などに不調が出るから、霊同士の会話は、いつも夜やっているのよね。有名な霊媒師たちが何人も、50歳代で亡くなっているでしょう。テレビに出たりして、霊を働かせすぎて、自分も参ってしまったのよ。
 あなたにはこれからも、外の植物を見てもらう機会を多く持ってもらおうと思っているのよ。あなたは気づいていないみたいだけれど、K-30とあなたが一体になると、観賞するだけでどんどん色んな植物のことが分かるらしいのよ。美恵先生も太鼓判を押しているから自信を持ってね。ただ宗像女史もそのことに気付いた一人で、彼女の専門は、植物ではなく、さっきも言ったように、新興宗教の方で、霊力のある人を集めているのでしょう。宗像さんを侮っては駄目よ。一年くらいは、彼女との戦いになるのでしょうね」
 綾先生は、この島の何を調べたいのだろうか、4日もいて、花の観賞だけではないのだろうにと、智子は別のことを思っていた。
「私は、明日、今回佐渡まで来た本来の仕事を始めるので、お手伝いをお願いします。佐渡金山の観光路で、後藤さんという方に会って、ちょっと山の中に入って、〈コフキサルノコシカケ〉を採取することになっているの。これが珍しく古梅についていて、山の中だったので、誰も気づかなかったという幸運で、《梅寄生》と言われる本物になるものなのよ。その分析を私に任されたので、採取からかかわることにしたの。今のサルノコシカケは、ブナやケヤキについたものがほとんどで、効能は変わらないと言われているけれど、昔は梅の木についたサルノコシカケだけを利用したので、すごく珍重されたものなのよ。分析の甲斐がありそうでしょう。これには免疫力を持続させたりする力があるのよ。山の奥の方らしいけれど、よく見つけたわね」
と、先生はとても嬉しそうにしていた。

             

    
                                     ペタしてね

            平成25年2月13日(水) 

 
寝方がかわいいと撮った『よっちゃん』

                     *

 今は、[東京大学付属植物園]と名付けられている公立の植物園は、かつて江戸幕府直轄の[小石川御薬園]として、漢方薬の薬草を育てていた。薬草園としては、400年近い歴史がある。都内文京区にこんもり繁った森が残されていて、一歩そこに入ると、まるで昔の田舎にタイムスリップしたように感じるらしい。竹内さんや洋子は、地方から来ているので、久しぶりに森のようなところに出かけられるのが嬉しいらしい。
「あそこには、カタクリの群落があって、三月の終わり頃だとそれが素敵よね。今は、夏だから、いろんな草に花が咲いているわね」
「私は、森の匂いが好きだわ。いろんな木々から緑の香りが流れてくるでしょう。あれがフィトンチットなのよね。鹿児島を思い出すわ」
 智子は、ずーと東京育ちで、地方で暮らしたことがなかったので、彼らが感じている緑の香りというものを実感できないでいた。森という言葉は、智子には遠いものであった。
「明日は、直接植物園集合ということで、10時に来てくださ。智子さんも分かるわよね。竹さん後で、智子さんに地図を渡してあげてね。もしカメラを持っていたら、フラッシュがつくのを持参して来てね。智子さんカメラ持っています?」美恵先生に聞かれて、智子はデジタルカメラを持っていると答えた。
 土曜日は、梅雨の晴れ間になり、植物園を散策するのに絶好の日和になった。公立なので、入場料が安かった。大木が入り口から繁っていて、いきなり、山の中に入ったような気になった。これのことを言っていたのだと智子も理解した。美恵先生のお供で来ているので、竹さんも洋子も静かであった。しばらく歩くと、花盛りのキョウチクトウが見えた。
「あの木の毒は、青酸カリより強いのよ」と、恵美先生が指差した。「今、高速道路の緑化に植えられているけれど、木が燃えたりした時は、煙を吸わないようにしないと、危ないのよ。かつて、アレキサンダー大王の軍隊が遠征中に多くの犠牲者を出したとか、ナポレオンが、ロシアの侵攻で、敗北したとかの原因は、キョウチクトウで肉を焼いて、煙や木の汁が死因の原因だったのではと言われているのよ」
「そうなんですか。夏にいつもきれいに咲く花だと思っていました」と言ったのは、智子だけだった。きっとみんなは知っているのだろう。
 恵美先生は、こんな風に、毒草を見つけた時だけ、口を開いた。他に、バラや百合や紫陽花もふんだんに咲いていたが、特に話題にしなかった。一番時間をかけたのは、江戸時代から続いているらしい薬草の植えられているところであった。それらは、使い方によっては、毒草ともなるものなので、厳重な管理下に置かれていることが分かった。小さな紫の花をつけたものや、白い花の塊をつけたもの、植物に責任はなかった。人間の使い方なのである。ここで写真を撮るように言われて、何枚か記録した。植物園には、3時間いて、近くの中華料理屋で、昼食セットを食べた。そのまま4人で、研究所に戻った。4人そろって研究所に戻ることは珍しかったが、4時という時間は、マンションで、人に会う心配が一番なさそうな時間帯であった。部屋には、綾先生がいて、パソコンに向かっていた。
「収穫ありましたか?」と美恵先生に聞いていた。
「秋には、種がずいぶん獲れそうです」と答えていた。
「そう、植え替えてよかったわね」と綾先生は、満足げだった。一体何の植物を見に行ったのだろうと、智子は思ったが、他の人もそのことは知らなさそうだったが、気にしないようになっているらしかった。
 植物園から戻ってきて、さしあったって智子のすることはなかった。部屋の中で、智子の場所もまだ決められておらず、今までは、とりあえずテーブルでという風に仕事をして、一か月過ぎようとしていた。仕方なく、客間で、毒草の図鑑を読んでいた。今日教えてもらった、キョウチクトウについて書かれた話や芥子、トリカブト、ベラドンナなどの逸話を読んでいると、植物が怖くなるほどであった。知らない植物に触れない方がいいなと思わせられた。
 「智子さん、私は、月曜日から5日間、佐渡に行くのだけれど、お手伝いしてもらいがてら一緒に行きましょうか」と、綾先生が客間に来るなり智子に話しかけてきた。
「佐渡ですか?私でお役にたつなら、ぜひお供させてください」と、まるで桃太郎のお供のような気分だと思いながら言った。
「甘草という植物を知っているでしょう。今花盛りなのよ。オレンジ色の百合に似た花が咲くのだけれど、それは見ごたえがあるので、時々佐渡を訪ねるのよ。知り合いもいるので、あなたを紹介したいし、ぜひ行きましょう」と、智子は来週一週間近く。佐渡に出かけることになった。佐渡では、山にも登るので、防寒具を用意するよう言われる。デジタルカメラと携帯電話が必需品で、あとは、普通の旅行の用意でいいそうであった。旅費は、先生が持つけれど、小遣いくらいは、用意しておくようにとも言われた。5日間もただ花を見に行くだけではないだろうと思ったが、智子には、質問の材料がなかった。とにかく、基本荷物運びかなと思ったのだった。彼女は幸い自動車の免許は持っていた。結婚していた時、取った資格が一つ役に立ちそうであった。

           
                ペタしてね


             平成25年2月12日(火) 

 
『よっちゃん』の可愛い寝姿。よく見ると可愛い。

                    *
 
あれこれ考えずに、まず宿題をかたずけようと、改めて温室の中を覗くと、一番に目につくのが、一メートルくらいに育っている柱状のサボテンである。祖父が見ていた西部劇に出てきていたサボテンらしいと分かった。『弁慶柱・属名カーネギア・ギガンティア』という名札がついていた。アリゾナ砂漠からメキシコのソノラ砂漠にかけて、ほとんど日本の面積に匹敵する範囲に自生するサボテンで、大きなものは、10メートルにも伸びると分かった。 北米からメキシコにかけての砂漠には、柱状の背の高いサボテンがさまざまに育っているらしかった。
 温室には、サボテンだけでなくいろいろな種類の植物があるらしかった。「そこには、マラリアに効くキニーネが獲れるキナの木もあるのよ。 原産国は、アンデスの山の中で、本格的にヨーロッパに入ったのは、19世紀の中頃かしら、まずイギリスの王立キューガーデンが、本格的にキニーネの抽出に着手して赤道付近に駐留していたイギリス軍に使ったそうよ」恵美先生が、まるで智子が何を考えているか分かっているかのように語りかけてきたので、ドキッとして智子は恵美先生を見ると、パソコンの画像をプリントアウトさせながら、室内で、鉢に植えてあるよく繁ったウチワサボテンの仲間の『オプンティア・マクシマ』(18世紀の初頭、日本に初めて渡来したサボテンの種) を見ながらしゃべっていた。
「サボテンて、人の話が分かるのよ」と奇妙なことを言う。「あなたは今、西部劇のことを思い浮かべたでしょう。このサボテンがそのことを私に伝えてきたのよ。笑っていたわ」
「サボテンがしゃべるのですか?」と、智子は、恵美先生って、変人なのかなと思いながら、まともに質問した。
「そうなの。アメリカのハーバード大学の先生たちの研究があって、サボテンは、人の波長を理解するらしいのよ。と言ってもこの研究室では、サボテンの波長をつかめるのは。綾先生と私くらいかな。天性的なものによるので、練習して会得する力でもないらしいのよ。智子さんは、きっとサボテンと波長が合うはずよ」
「私がですか、この研究室にくるまで考えたこともなかったのですが」
「初めはそんなものでしょうね。でも大人になっている分会得は早いでしょうね。今、あなたの考えが伝わってきたことを思えば、可能性は高いのよ。ただ、そういうことを信じなければだめよ。この研究室にいる時は、疑ったりしなくていいはずだから、植物たちの言葉に耳を傾けてみたら、うるさいくらいいろいろ交流しているのよ。もう六時になったから、今日は、これで終わりにしていいわ。私は、綾先生が見えるまでここに残っているから」と、智子は、早い帰宅にまだ戸惑いを覚えた。早いからと言って、あちこち歩き回るのは危険だと注意されていた。洋子も竹さんもすでに帰宅していた。このマンションには、小さな事務所がいくつか入っていたが、みんな夜遅くまで働いているらしく、6時にたびたび帰る智子は、他の会社の人と会うこともなかった。
 こうして金曜日まで、同じような日々を過ごして、智子は、研究室の植物をすべて覚えた。といって植物の語りかけがつかめるほどではなかった。土曜日は、東大植物園に行くことになっていた。金曜のお茶の時間は、洋子や竹内さんがその話で盛り上がっていた。

      
   

       
 

ペタしてね