平成25年3月3日(日)
《マンサク》が咲いている。花びらは、細い短冊が寄り合ったように見える。
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智子とK-30は、3時間くらい話し合った。智子の体から出なければ、お互い疲れは軽くて済むとのことで、智子は、この際、彼女の過去のことをすっかり知って、これからに備えたかった。K-30は、智子については何でも知っているのだろうが、智子は、この二年、折に触れ少しづつ知った彼女の過去がとぎれとぎれであったので、その穴を埋めておきたかった。
「K-30さんは、何が原因で亡くなったの?」と、これまで避けてきた質問をした。またそこにこれからの答えもあると感じていた。
「原因は、サボテンの毒です。と言っても毒のあるサボテンはないに等しいのですが、たまたま私がそれを見つけて、アルカロイド系のその品種をたくさん栽培していたのです。原産国は、メキシコの高地なので、イギリスの寒さでも育ったのです。ロフォフォラ属で、サボテンにしてはとげがなく、10センチくらいの丸いサボテンが、子吹きして群生します。どういうわけか、そのサボテンが料理に使われて、スープの具になって饗されました。料理人は、知らずに使ったみたいですが、そのスープを飲んだ人の多くが亡くなりました。料理人夫妻・園庭の係りそして私です。そんなに強い毒ではないのですが、使った量が多くて、中毒が起き、助かりませんでした。料理の方と園庭の方が亡くなったので、原因は、ずっと後になって分かりました。父と弟は、その日は、留守で、共に食事をしなかったので、助かりました。原因は、父たちが発見したのです。初めは、私が育てていたロフォフォラ属に目が行かなかったのです。食べるものとは思わなかったからですが、ある日そのサボテンに小さなピンクの花が咲き、その時。弟がそのサボテンの一部が刈り取られていることに気付き、それを分析した結果、アルカロイドが含まれていて、有毒なサボテンであることが分かりました。もちろん私も知っていて、毒は、薬になるという考えで、一生懸命育てていたのです。毒の植物については、園庭の人には教えず、私だけが世話をするという生活でした。それは母から習ったやり方だったのです。まだ、使用人を真から信じられる時代ではなかったのです。科学者とか研究という仕事は理解されていませんでした。それで、亡くなった園庭係の方が、美味しそうな植物だと思ったのでしょう。とげがないことが災いした話です。サボテンって、とげ付が多いのですが、有毒なサボテンでも、とげには、毒はありません。本体の実に含まれているのです」
「それは残念な事故だったわね。またどうして、知らない植物を食べようとしたのかしら?」
「冬の終わりのころで、葉物が手に入らない時、柔らかな感じの緑の植物を見て、園庭の方が摘んだみたいです。少しかじったくらいでは、毒とは分かりませんから、安全な植物と思ったのでしょう。コックたちもそう思ったと思います。まだ保守的な時代で、私たちと使用人の間に会話はありませんでしたから、私が招いた事故と同じでした」
「それで、そのサボテンで、K-30さんは、何がしたかったの?」
「答えを出す前に、世を去りましたから、それを智子さんと見つけたいと思っています」
「サボテンね、難しそう。恵美先生が取り組んでいるし、サボテン公園が襲撃されるようなこともあったし、小さな研究室に二人もサボテンの研究者がいると目立つわね。なぜサボテンが好きなの?」
「面白い植物だと思いました。葉の形も様々、花もたった一日しか咲かないとか、水をやらない方が育つとか。知れば知るほど深入りしていきました。そして有毒なサボテンに行きついて、母のように、役立つ成分を見つけたいと思ったのです」
「サボテンに似て、乾燥地を好む植物に多肉植物といわれる種があるのよ。K-30さんがまだ生存していたころ、イギリスのケンブリッジ大学の植物学教授が、《多肉植物の歴史》5巻を出版したのが、多肉植物が公に知られるようになった始めらしいけれど、今では、この仲間は、一万種はあると推察されているわ。一番わかりやすい種は、アロエかしら」
「アロエは知ってます。智子さんを通して知ったのですが、そんなに種類が豊富なのですか」
「そのようね、こっちの方が、とげがない分危なくないみたい」
「のんびりしてますね。でも智子さんが気に入ったのを研究してください。私は、日本の植物の古来種にも興味があります。何しろ日本って、亜熱帯から亜寒帯の植物に満ちていますものね」
そういわれて、智子さんは、自分の研究課題をもう少し待つことにした。いったん始めたら、五年や六年くらいかかることもありそうな、植物の成長を待つという気の長い仕事だと分かったからであった。香草を扱う洋子でも、新芽を収穫しそこなって、来年待ちになった植物は、十や十五できかなかった。
猫たち、左手にストーブがある。ストーブに火を入れると、火の周りに集まって、寝ている。

平成25年3月2日(土)
梅
効果をこ
べ紅
べ梅がとてもきれい。元、農家の家の庭で、他には、白梅が多い。持ち主の農家の主人が亡くなって、広かった敷地の大部分に、マンションが建ってしまったけれど、春の花の木と柿の木が残っている。
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宗像女史が実質的オーナーの『モダーン・ティーカンパニー』は、テレビの通販を利用して、ウーロン茶を中心にしたお茶を精神安定に聞くとうたって、販売高をあげていた。この頃、認知症にならないようにと、それに効くというだけで、様々な食品が日常的に食する人が増え、タイミングもよく、売れ行きを伸ばしている。綾小路先生も直接原宿のお店で幾種類かお茶を購入して来て、分析にかけていた。基本的に、ただの中国茶らしく、特別精神安定を促すといほどではないらしいのだが、人は、信じることで、良い方にも悪い方にも行くので、害がなければ、もともと茶葉には、漢方的治癒力があるので、効くと言われれば、たいていの人には、良い効果を与えるのだった。特別に値の張る鉄観音もあるらしかったが、特別に注文する必要があるらしかった。綾先生は、そのお茶を欲しがる人が、彼女の資金源になる人だろうと思っているようだった。鉄観音クラスになると、中国で手に入れても、100万円クラスのもあるという。それは円盤状に固められた日本では扱いにくいお茶の形状をしているが、お金を出しても手に入りにくいお茶があることも確かであった。 また、宗像女史は、自身の宗教である『茶観悌』を解説した本も出版していて、徐々に彼女の理念を広げつつあった。だからといって、特に悪いことをしているわけでもないので、智子の研究室では、黙って見守るしかなかった。
智子も、今ではほとんどの植物に詳しくなっていたので、自分の研究対象を一つ選んでみた。『ドクダミ』の成分の分析を自分でしてみて、すでに発表されている資料と照らし合わせてみた。漢方薬の方が勝っていた時代に、十薬・〈すなわち十種の病気に効くという意味である〉と言われるほど、あれこれ効き目が期待された植物で、成分の一部は、血の巡りにも効いていた。今では、乾燥した葉を煎じるという習慣はみられなくなり、薬品会社で抽出された成分が効果的に配合されて、タブレット型の薬になっているのだった。かつて、智子が離婚後しばらくして慢性の頭痛に悩まされ、薬屋と相談して、このドクダミを煎じたことがあった。薬屋は、十薬と言っていたが、何回か煎じて飲んだことがあった。いつ治ったのか忘れてしまったが、袋いっぱいあった十薬は、半分くらいは残っていたから、そんなに熱心に飲んだわけではなかったのだろう。それでも一度は使った漢方の効き目を科学的に調べることは、気持ちがよかった。こんなによく知られた植物を今さらどうにかするつもりはなく、ただ植物を分析するとはどんなことか、試してみるにはよい種であった。
洋子も精神安定の効果を日本の香草に見つけようとしているし、宗像のお茶を中心とした考え方のやはり精神に関わっている。先生方は、植物の毒の中から、薬になる成分を見つけようとしている。智子は、だんだん自分のやる方向が見えつつあった。
また、K-30と出会った日が来るな。と思った時、K-30は、何を研究したいのだろうと聞く必要がると思われた。この二年間、たまにK-30と話すこともあったが、智子が、規則正しい生活と着実に研究成果を残しつつあるようになると、前のように、突然現れることもなくなっていた。智子も霊の存在を忘れるくらいになっていた。たまに、宗像女史を見かけたり、彼女の著作に触れたりして、思い出すくらいになっていた。
その日は、ちょうど日曜日で、朝のうちに、一週間の溜めていた家事をこなし、昼から彼女と話すつもりで、テーブルにお茶や菓子も用意して、人智子は、K-30に呼びかけた。
「これから何を研究するか相談したいのだけれど、K-30さん起きている?」と、自身の頭に語りかけた。
「もちろん起きてます。智子さんが、私のことを考えてくれだしてからずーと耳を傾けてました。智子さんの研究に、私も仲間にしてくださること、ずーと楽しみにしていました。この二年で、すっかり植物研究者に成長しましたね。英語にも堪能になり、時に私は、イングランドを懐かしく思いました。英語ででも話せますね」 K-30は、久しぶりに智子と話すので、浮かれているようであった。
「何言っているのよ。私の勉強を手助けしてくれていたのでしょう。英語がこんなに早く会得できるものじゃないのに、いまでは英語の会話の、意味は分かるけれど、それはあなたのおかげなのでしょう。感謝しているわ。ところで今日は、K-30さんが、何を研究していたのか知りたいのよ。その植物は、日本にあるものかも調べなくてはならないでしょう。また、聞いていいものなら、あなたが亡くなった原因を教えてほしいと思って。植物に関するものなら、私も前よりは理解できるでしょう。今日は、いくらでも時間は取れるから、思いっきり話してみて」智子は、これらを口に出して言っていた。頭で考えるだけでもK-30と会話は成り立つのだが、音にして外に出す方が、智子自身も自分の言っていることが再理解できるのだった。

平成25年3月1日(金)
フキノトウが出始めました。(川崎市・宮前区)フキが植えてある農家の庭。無人の出店があって、そこで、このフキノトウを50個くらい買いました。私は、それらで、つくだ煮を作ります。お店のふきのとうは、サイズが大きすぎて、つくだ煮には向きません。このフキノトウでつくる佃煮はそれは美味しいのです。年に一度だけの機会です。
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遅くなると言っていた礼一も帰ってきて、夕食を共にした。久しぶりに家族がそろった。
「姉さんの今度の仕事は、何なの?」と、礼一が聞いてきた。
「植物の分析をする研究所で、先生方の論文の下書きなんかを手伝っている」
「姉さんにそんなに難しそうな分野の仕事できるの?確か短大卒で、古文を学んだんだよな。その仕事って、理科系の分野じゃないの?ついこの間まで、スーパーのレジ打ち程度の仕事で、頭なんか使わなくてもよかたんでしょう」
「失礼ね。私だって、やる気を出せば、何でもできるのよ。と言っても、先生たちの論文の原稿をパソコンに打ち込むことが仕事だから、レジ打ちと変わらないかもね」智子は、礼一に詳しいことを言うつもりはなかった。父達は、二人の会話を知らん顔して聞いていたが、はらはらしている感じを智子は微妙に感じていた。
「それより、礼一は結婚する気はないの?」と智子は逆襲に出た。
「そうなんだよ。同級生の中には、もう小学生になる子供のいる連中もいるので、焦るのだけれど、仕事もなかな面白くて、女の子に出会う機会がないんだよ。この頃、家庭なんかどうでもいいやと思うこともあるし、その時が来れば、結婚しているんじゃないかな」と言いながら、すき焼きにかじりついていた。この様子では、礼一に取りつく霊は、問題なさそうだと思えた。
次の日は、庭の手入れを手伝った。春の草が、庭のあちこちに生えだして、今が抜き時だった。母と二人、並んで、芝生の中のスズメノカタビラ・ツメ草・カタバミなどの小さな芽を摘んだ。
「こんな雑草のようなものにも研究は及ぶの?」と母が聞いた。
「チドメ草なんかのかつての民間伝承の薬草は、対象で、含まれている効能について、調べている」
「植物って、死に関わるような毒草があるでしょう。ジキタリスのような花だけれど、危ない植物は扱っているの?」
「世界中のそういう植物に関わっている。だから、よく学ばなければならないのよ。次の一年も勉強だろうと思う。変な植物も多いから、知るほど、植物が怖くなるわ」智子は、母に具体的な植物の名は告げなかった。母がどこかで、世間話のように言っても構わない話だけに絞っていた。草は、きりなくあって、二時間くらいかかって、ある程度の草を抜いた。今は芝生が枯れていて、草が目立つが、夏草が生える頃、メヒシバなどの草は、種を飛ばす頃気づくので、夏の芝生は、いつも草だらけだった。
昼食は、父と智子と母の三人で、礼一は、パチンコしにいくと出かけて行った。
「日曜なのに、彼女もいないんだ。なかなか結婚できそうもないわね」と智子が、食事中に嘆くと、
「本当は、いるんじゃないかと思っているのよ。」と母が言った。
「同じ会社に、高校の同窓生の女の子がいるらしいのよ。礼一も会社で認められ出したようなので、今年くらいまとまるのじゃないかと思っているの」
「そうなんだ。よかったじゃないの。お父さんも賛成なんでしょう」
「よく分からんが、彼女の父親は、習字の先生だと言っていた。日展にも出品する実力者らしい。そのくらいしか教えてくれなくて、賛成も何も言えない」と父は、何か気にしていた。
智子は、この日一日、家で、実にゆっくりとした時間を過ごした。父に頼んで、『天』の家の家系図を見せてもらった。また空襲で焼け残った写真も何枚か見て、自分の立場を確認した。
夕食に、礼一が戻らなかったので、また三人で、智子の守護霊について話したり、研究所が、政府機関の一環に組み込まれていることを伝えて、他人にこの件は、話してはいけないと伝えた。聞かれたら、学者が自費出版をする下請けの出版社だと言っておくことを伝えた。その秘密主義に、母は、少し怖いものを感じているようであった。
「政府が関わっている研究には、表に出ない研究がいくつかあるな」と、大学教授である父は言った。「数学にはないかな、あるいは僕が知らないだけかな」とぽつりと言った。数学は、孤独な学問なのかもしれないと、智子は思った。
マンションに帰った智子は、自分の学んでいる植物の資料を整理することで一日があっという間に過ぎて行った。家に居る時と、気分が全然違った。マンションの部屋は、完全に智子の研究部屋になりつつあった。明日から、他の仲間と変わって、智子と竹さんが、研究所の留守番になっていた。生き物を扱っているので、一日も留守にできないのだ。休みの日は、先生も当番を引き受けていた。
草を食べている。外に出られないので、時々、外の草をとってきて与えている。夏は、メヒシバの葉が好きで、今は、やはりススキの葉のような葉を好んで食べている。その後、毛玉を吐く子もいる。
