平成25年3月11日(月)
『しんちゃん』手のひらサイズから育てているのに、5歳の今になって、捕まえにくくなっています。寝ている時に捕まることもありますが、覚悟を決めたという感じです。爪切りやお風呂をだんだん嫌がり、その結果、私を見ると逃げてます。ただ、夜寒くなると布団に入ってきます。よく分からない猫です。
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翌日の午前十時に、またアデール華子邸を訪れた智子さんは、綾先生もいるのを見てちょっと驚いた。そんなに大変なことなのかと、二年前の自分への気配りを思い出した。
「綾先生にまでご迷惑をおかけすることになってしまって、どうもすみません。昨日K-30から聞いたことによりますと、どうも宗像女史が関わっているようなので、難しい展開になりそうなのです」
「そのようね。私も聞きました。ただ、今のところ、礼一さんもひかりさんも真から『茶観悌』に入り込んではいなさそうなので、まだ何とかその組織から引き離せるかもしれないわね。礼一さんとひかりさんの霊は、出現してないらしいので、それが頼りになるかもしれないわ。彼らは、まだ普通の人という存在なので、宗像さんの霊がいくら強くても、彼らの心を動かすことはできないのよ。今は、催眠術のような暗示に絡められているらしいというところでしょうが、この状態が長く続くと、体に支障が出て、本当の病気になってしまうのよ」
「華子さんは、この展開をどう解決するかしら?」綾先生と華子女史は、年齢は10歳くらい違うのに、何か共通の関わりがあるらしい。綾先生の華子に対する態度が、姉妹のような扱いだと思わせた。
「私の小説の中なら、ひかりさんが礼一君に愛想を尽かす態度をとりだすとか、礼一君が、アジアのどこかの国の支店に配属させられるとか、二人を離す方便をとりたいわね。もともと宗像女史や父親の策謀の上に成り立っている結婚では、愛情もあるようなないようなでしょう。お互い好きだと思っているだけで、メッキが剥げた時が怖いわよね」アデール華子さんは、自分の結婚の経験から、結婚とは何かということでは、地に足がついた意見はあるのに、礼一たちについては、ファンタジー小説の物語のように話していた。
「今日、食事をしながら、礼一に父親との確執だけを聞いてみます。ひかりさんとは、どうしたいのかくらいは聞けるでしょう。今は、草笛家に転がり込んで、三週間くらいたっているみたいですが、そろそろ居心地が悪く感じられる頃でしょう。礼一も世渡りがうまい方ではないので、よく知らない家にご迷惑をかけていることを気にしているはずです。私もいい時期に電話しました」
「言わない方がいいのは、宗像さんの噂と『茶観悌』の事、彼から言い出したのなら、ひかりさんのお父さんがそことどうかかわっているのか、聞きだせるといいのだけれど、礼一さんが苗字と血脈を利用されていると気づかせないことね。その話もいつかする必要はあるでしょうが、今はまだ、時期草々だと思うわ」と、華子さんが言った。
一時間くらい、礼一から始まって宗像女史の活動まで話は続き、一時間後に、智子だけ先に退出した。自分のマンションに戻る智子に洋子がついてきて、綾先生は、同じマンションに住んでいるのだから、今日来たことを気にしなくてもいいと言った。
「えー、そうなの。二年間同じ道をとりながら、先生に会うことは一度もなかったわ。そうなの」
「でもない内緒よ。いつものように知らん顔していてね。先生たちは、自分の気配を消すことができるので、見られたくないと思えば、智子さんがすれ違っても先生とは気づかないのよ」
「すごいわね。忍者みたい」
「同じ力を宗像さんも持っているのよ。それでみんな気が気じゃないのよ。いつか礼一さんにお会いしたいわ」と洋子はいつも優しい。
礼一に会うのに、なにか彼の気を智子に惹きつけるものはないかと、本棚などを見ていたが、智子が集め始めた鉢植えの多肉植物に気付き、花のように葉が開くエチェベリア属のメキシコ原産のスプリギダを渡すことにした。この種は、繁殖しにくく、株分けができない分、ロゼット状の葉が一株じっくり育つだけなので、礼一しか持てないはずで、この植物を礼一が持ってくれると、後に役立つかもしれないと、智子は直感した。葉の色は薄いブルーで縁がピンク色、観賞するにはもってこいの植物だった。
6時より15分早く待っていた智子は、礼一がどんな様子でやってくるのか観察していた。20分も遅れてやってきて、「ごめん。いろいろあって、出発が遅れてしまって、待った?」といつもの礼一であった。
「今日は天気もいいし、ここでの待ち合わせは楽しいわ。ヨーロッパからの観光客も多いのね。礼一さんは、渋谷は、久しぶりでしょう。仕事先とは反対方向だから」
「そうでもないな。先週の日曜日、渋谷に来てるし、文化村なんかよく来るんだよ」
「そうなの、ひかりさんという女性と一緒?」智子は、探りを入れた。
「まあ、姉さんの耳にも入っているんだよな。僕が家を出て、草笛家の厄介になっていること」
「最近お母さんから聞いて、礼一の意見も聞いておきたかったのよ。お父さんだって、もう70歳でしょう。まだ仕事をしているから、年齢より若く感じているみたいだけれど、心配かけては駄目よ」
「分かっている。僕らが、せっかちすぎたのかもな」礼一は、落ち着いている感じがした。
「台湾料理を食べましょう」と、智子は、よく行く大衆料理屋へ連れて行った。そこは相席で食事をすることが多いので、込み入った話をするには似合わないところであったが、それが礼一の気を和らげていくようであった。しかし、智子は、予約しておいたので、窓際のふたり席につれていってもらえた。4品くらい頼み、紹興酒も一本頼んだ。
「で、お父さんとは、どうしたらうまくゆくの?」と、智子は、この話が外に漏れても、家庭内のもめ事ととれる程度の内容に持っていくつもりで聞いた。
「僕も、『気にくわない』というお父さんの気持ちが分かるようになったよ。あの家に三週間もいたら鈍感な僕も感じるよな。会社にいる時だけが、気が休まるんだ。会社には、ひかりがいるけれど、彼女も自分の家で窮屈な思いをしているみたい。父親が、変なんだよ。たまにくる宗像という女性と何か打ち合わせをしている。かれらに母親は参加してないから、習字の人かなと思うけれど、二人が来ると、家中にいやな感じがただようんだ。その人が来る日は、ひかりと外出してしまって、会社のある日は、二人で遅くまで飲んでいる」
智子は、思いがけない展開になって、ここで、宗像女史の名はあまり出さない方がいいと思って、「そう、習字も難しい芸術だから、ディレクターみたいな人がついているのかもね」とごまかして、食べることに専念した。
「ひかりさんて、すごい美人だそうね。お母さんがいっていたけれど」
「美人だよね、背も高いし、僕なんかに全然合わないんだよ。大学だって、僕よりいい大学出だよ。だから、何で僕に近づいてきたのか、理解不能。できたらやめたいのに、結婚話まで行くとは、姉さん、なんとかご破算にできないかな」
「その話は、どこか、もう少し人のいないところで、ゆっくり話しましょう。まず、食事をかたずけてしまいましょう。紹興酒は持って帰るわ」まだ口も開けてなかったので、助かった。


