平成25年3月19日(火)  温かい日

『タロウ』は、よくお腹を見せて眠る。温かい日差しに気持ちよさそう。そのお腹に『まる』ちゃんが寄りかかって寝ている。

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 礼一とひかりさんの件に関わりながら、智子は、自分の研究課題を見つけていた。恵美先生が、サボテンの毒や効能に関わっていたので、それに関する資料を見ていると、多肉植物と分類されているサボテンに似ていて、とげのない肉厚の植物を知ることになる。彼らの仲間は、一万種あると言われているが、アロエもその仲間に入っている。智子の実家でも、火傷した時のためにと、鉢植えでアロエべラを母が育てていた。サボテンに似ているのは、育つ場所が砂漠のように水気のないところを好むせいと、ぼってりした幹のつくりが、よく似ているからだろう。彼らの形は様々で、網型やかご型の複雑なつくりもある。その中で一番不思議な種では、『奇想天外』学名ウェルウィッチアと呼ばれる1科1属1種の裸子植物であった。南西アフリカ砂漠地帯に自生して、子葉の間から出た本葉の一対のみが何年も育ち続けるそうで、昆布のような葉がとぐろを巻くように、二千年生きている株もあるという。日本には、昭和11年に種が入ってきているが、開花は、それから43年後の事である。
 多肉植物に興味を持って、いろいろ調べてみたが、研究者としては遅い出発の智子は、すでにある程度様子の分かっている植物を選ぶ方が、役に立つことを見つけやすいと思って、アロエの仲間に取り組むことにした。この研究室では、アロエは扱ったことがないとのことであった。あまりによく知られて、もう研究の余地がないのかもしれなかったが、ぜひ研究を続けてほしいとパソコン上に書かれてあるのを見たので、まだ研究の甲斐はあるらしい。
 アロエの薬効は、紀元前16世紀のパピルスにも記載されているそうで、今さらと思うが、研究の中で、動物に効いて、人間に効かない結果もあるらしいので、その点を中心に、研究すれば、役立つことを引き出せそうであった。綾先生もいいところに目をつけたと言ってくれた。アロエは、よく知っているつもりになってしまって、本気で研究されたことはないかもしれないとも言っていた。民間療法で、葉のジェルの部分が、火傷や傷の軽減をする力があることはよく知られ、そのことから、化粧品などで、手荒れなどにも使われている。この研究は、約三年かけて、ある程度の評価を受けるほどになった。
 研究所とマンションの往復の三年間に、原宿の街で、何度か宗像幸代を見かけた。いつも彼女は、智子に気が付いてなかったと思ったが、後に、あれはわざと智子に姿を見せていたことが分かった。『茶観悌』は、お茶の効能を前面に出して、癌に効くとそれとなく広告していた。喫茶店は、いつも人であふれていて、時にテレビで紹介されたり、婦人誌に取り上げられたりして、宗像女史も有名人になりつつあった。
 ある日、いつものお茶会で、あそこまで宗像女史が前面に出てきたからには、もう智子や礼一に関わらないのではないか、という話になった。ただ、綾先生だけが、礼一の子供を教祖にしようとまで計画したことを覆させられた屈辱は、まだ消えるものではないだろうと、みんなに改めて気をつけるよう言い渡した。
「先生、宗像女史は、智子さんの住まいを知ってますか?」と洋子が聞いた。
「それは大丈夫でしょう。私たちの住まいは、私と、華子さんそれにあなたたちの知らない霊能者によって、バリアーが張られているので、『茶観悌』の信者オーラは、近づけず、傍に行っても建物さえ見えないはずなのよ。危ないのは、そこを離れた時でしょう。宗像さんは、粘り強いから、10年くらいは、用心した方がいいわね」
「そんなに長い時間が必要なのですか?」と、洋子は驚いていた。
「十年なんて、すぐよね。智子さんもここでの研究が、もう5年でしょう。早いものね。あのアロエの分析、今、国の科学研究所で、確認作業に入っていて、ある種の癌に効くかもしれないと実験中よ。私の言った通り、智子さんに力があるでしょう」
「買い被りですよ。たまたまですよ」
「研究で何か発見することの多くは、たまたま見つけるということが多いけれど」と綾先生は笑っていた。
 そんな楽しい時間は、少なくて、みんなそれぞれの研究でいつもピリピリしていた。洋子は、日本古来の香草類の料理研究家として表に出始めていた。彼女は、結婚適齢期になっているのに、その気配が全然なく、綾先生や華子さんもやきもきしていた。智子には、研究者に、結婚は向かないと言っていたが、洋子の分野は、結婚しても秘密もなにもなさそうなので、良い家庭が持てそうであった。
 
ミモザの花・今花盛り・
                     
  

ペタしてね

           平成25年3月18日(月)   風が強い・黄砂?
 
 雀のように並んでいる。二匹ともキジトラ。

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 ひかりが、スイスに発った、初めての日曜日に、礼一は、草笛家に呼ばれ、食事を御馳走になった。本当は、ひかりがいるうちに、将来結婚することを確認したかったようなのだが、ひかりの出発があわただしかったので、その余裕がなかった。それをお詫びしたいと礼一に声がかかった。草笛家の両親と、お弟子さんという男性と女性も同席した意味ありげな食事会だった。礼一は、そつなくこなし、草笛家の両親は「ひかりは何を考えているのか、しばらく我慢してください。あまりわがまま言わない子だったので、一回ぐらいは、彼女の希望も叶えてやりたくて、遊びに出してやりました」と、言っていたので、礼一たちの計画の第一段階は、うまくクリアしたことが分かった。
 礼一は、熱心に英語を学び、秋のテストでは、TOEICで650点は取った。そして、会社にヨーロッパ支店への移動を申し出ていた。ヨーロッパでは、主に営業という仕事になるが、車のデザインに関わっているので、技術面の説明に役立つはずだと、会社を説得していた。急がないと、ひかりの外遊3か月が近づいてきて、親たちが騒ぎ出しかねないので、少なくとも、12月には、答えがほしかった。
 礼一の会社と提携しているドイツの子会社が日本人の技術者を捜していることが分かった。礼一は、とにかく早く日本を出る口実がほしかったので、喜んでその話を受けた。来年の一月から、バーデンにある自動車会社に出向することになった。12月ぎりぎりまでは、日本で仕事をしなくてはならなくて、ひかりは、その頃になれば親から帰れと言われるだろうと予想されたので、ひかりは、スイスの大学に留学したとそこで親を説得することになっていた。礼一も賛成だからと、一か月でも持ちこたえる口実が必要であった。草笛家としては、礼一が、日本にいるので、ひかりが帰ってくれば結婚するのだろうと、たかをくくって、それならしょうがないと思っているところもあった。
 暮れぎりぎりに、礼一は、ドイツに発った。草笛家には何も言わず、礼一の家族もこの方法が、一番、彼らを守れると承知して、成田に見送りにも行かず、あとは、二人が協力して、日々を乗り越えることを祈るだけであった。礼一がヨーロッパの方に転勤になったことを草笛家は、一か月後に知るのだった。まだ『天』家と交流はなかったので、そのことをあれこれ問いただすことはできなかった。その後一年は、娘から来る手紙で我慢するしかなかった。父親か弟子の誰かが、様子を見に行くという案もあったが、礼一もヨーロッパに住んでいるというなら、いつか二人は結婚するつもりなのだろうと、楽観的な気にもなっていた。
 後日談として、二人は、ひかりが30歳になった頃、当地で結婚して、礼一は、バーデンの会社に馴染んで、日本の会社の窓口としての力を発揮していた。時に、日本に帰っていたが、宗像たちには見つからず、三年たった頃、二人は、女の子の親になっていた。ひかりもスイスの日本領事館で働きはじめ、生活は安定していた。
 草笛家では、3か月だけ外遊に出かけたと思った娘が、三年も帰らず、親も知らないうちに結婚もして子供までできたのに、日本に戻らないことに腹を立てていたが、二人が予定通り結婚したのだから、文句はなかったのだ。彼らが当分日本に帰る気がなく、子供の国籍が、ドイツになるということを考えられる人たちではなかった。一方、宗像女史は、彼らがヨーロッパに出かけたと聞いてから、動静を探っていたが、一年たつ頃から、礼一たちの計略を感じていて、心から腹を立てていた。そして、子供ができても戻らないことを聞いてから、彼女のターゲットは、智子たちに向かってきた。
  
ウズラタンポポ・葉が、ウズラの卵模様に似ているため名づけられている。冬を越す植物で、いま新芽が出始めている。花持ちもいい。
    
                            
ペタしてね

           平成25年3月16日(土)   穏やか

 
赤ちゃんがめずらしい『シロ』、恐る恐る覗いている。

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 『地霊が一番恐れるのは、日本の神とあがめられた、天照大神につながる血脈と場所と思われるので、そういう点でいえば、伊勢神宮のある三重県の伊勢山田あたりが、『茶観悌』達が近づかない場所ではないだろうか。礼一は、有給休暇をほとんど取っていないのだろう?夏の終わりに四日ぐらい休ませてもらって、ひかりさんと二人でそこで話しあったらどうかな。ほんとは、この家なら、かなり悪霊が入れないよう守られているのだが、ひかりさんの呪縛を解くほどの力はないから、彼女が、父親にさらに強く言い聞かされていたら、本来の自分には戻れないだろうし、この家では、礼一も落ち居ついて話せるとも思えないから」
「お父さんは、今まで、こんなオカルトみたいなことを話題にもしなかったし、数学者だから、SF的な話は、信じてなかったんでしょう」
「そうだな、君たちが生まれる前にまだ神社に住んでいた頃、俺の爺さんが、神主で、すごい霊力を持っていてね、子供の俺でも祖父が霊と話している時、寒気を感じたんだよ。氏子にすごく頼りにされて、医者の代わりのように病気まで直すという評判だった。だけど、50歳で亡くなって、神主業を継いだ父には、霊力がなくて、祖父とのギャップがありすぎて、父は、神主を辞めたんだよ。俺も神主にはなりたくなくて、そういう霊から一番遠そうな数学の道を選んだんだ。おれ自身は、そのせいか霊に会うこともなく、今に至るけれど、祖母には、かなり強い霊がついいていて、父を助けていたが、やはり早死にをしたね。智子は、自分の霊から聞いているらしいが、霊そのものを仕事に使うと、体力が霊の作用についていけず、早く亡くなる人が多いらしいな。爺さんは長生きしただろう。85歳まで生きられたよ。俺も今のところ、70歳を超えたしな。信じる信じないではなく、特異な家であるということなんだよ」
「僕はなんなんだろう?霊なんて感じたこともないし、ひかりからも何の波動も感じないもんな」
「礼一の霊は、のんびりしているそうよ。霊に期待されてない分、幸せな人生が送れるはずなのよ。ただ、宗像さんたちに取り込まれた時は、せき立てられるような生活を強いられるわね。お父さんの言うように、伊勢神宮にお参りしていらっしゃいよ。それでもひかりさんが、眠ったようなら、別れるべきね。彼女の健康上もそろそろ限界よ。免疫上の欠陥か、精神面がやられるか、とにかく今は不健康よ。会社では、二人が仲いいことは知られているの?」
「それほどでもないかな。働いている部署も違うし、彼女は、カタログつくりで、結構机に向かっているので、社内で彼女を気にする人も少ないんだ。よく見るとすごく美人なのに、なぜ目立たないんだろう」
「そのように父親と宗像さんの霊がバリアーを張っているのよ。礼一を狙って、会社に送り込まれてきた、『茶観悌』の手ごまなのよ。だから他の人の目につかないように存在しているというわけ。霊力の力ってそういうものなのよ。分かった」
「すごいな。逃げられないのか。もし、この結婚を断ったら、僕たちどうなるのだろう」
「礼一が役に立たないとなれば、世間から見放されるかもしれない。そのように人を動かすということよね。ひかりさんは、次の候補者に使われるでしょうね。でも彼女もう30歳近いのでしょう。将来の教祖を作ろうというのだから、35歳を過ぎたら用無し扱いかもね。彼女を救うためにも、一度しっかり目覚めたひかりさんと話す必要があるわ。その時、二人の意見があったなら、結婚に向かって、それも『茶観悌』の手の届かない配慮をして、目立たなく彼らをやり過ごす方法を講じなければならないわ。今のところ、今までと変わらないという態度を続け、ひかりさんと京都に行ってみるくらいにしたら、京都なら、名古屋までは、新幹線が同じルートだし、名古屋で降りて、すぐ近鉄特急に乗り換えれば、一時間半くらいで、伊勢山田に着くでしょう。彼らも追ってこられないわよ。そして、別れることになっても、うまくやり過ごしましょう。結婚することになっても手配はいるわよ。私には、実力者が大勢いるから、彼らの意見に従いましょう」
「たった二年で、姉さん、見違えるような暮らしをしているんだね。力強くなったし、本当の実力も持っているし、姉さんの霊って強いんだね」
「礼一は、変わったことに会うと、顔に出るけれど、今回は、いつものぼーっとした雰囲気を壊さないでね。もう旅行に行くまでは、草笛家に行ったらだめよ。あそこのお父さんは、古い中国あたりの霊を身に持っているわね。字が、中国の隷書だものね」
「結婚という単純なことではなく。命にかかわることだってわかった。確かに、テレビで活躍したりしていた霊能者の何人かは、50歳代で死んでいるね。いつも霊能者なら自分の危険が分からないのかな、と思ったものだけど、体力負けしているのか」
「簡単にいうとそうかしらね。それより、会社で、休暇を申請して、宿泊先も予約して、さっさと動きなさいよ。草笛家は、ひかりさんと旅をしてみたいと言えば、彼らは、仲良くなるチャンスと思うでしょうから、賛成するでしょうが、行き先だけは明かさないように、ひかりさんにも本当のことは言わない方がいいわ」
「何か不安なことを感じたら、携帯に電話してね。必ずアドバイスを送るから、『天』という苗字を宗像側に渡したら大変だということを理解してね」
 九月1日の〈防災の日〉に二人は、京都に行くと草笛家には言って、伊勢神宮参りに旅立った。
 
庭の黄水仙。春らしくなる。
  
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