平成25年3月20日(水)
春分の日
テレビがめずらしい頃の『よっちゃん』2月頃の天気予報図
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礼一たちは、スイスに住み続けていた。女の子には、薫という名をつけたので『天薫』という短い名になっていた。一歳になる頃、智子は、母と父を連れ、スイスの彼らを訪ねた。約一週間滞在して、パリやミュンヘン、ロンドンなどヨーロッパの都市を巡った。この時は、主に智子が案内して、礼一の家族に迷惑はかけなかった。草笛家の家族とは、三年間、手紙のやり取りだけしているとのこと。ひかりは、一人っ子だから、草笛家にとっては、さびしい限りだろうが、父親は、『茶観悌』の幹部らしいので、それなりに充実した日常らしい。手紙は、娘と母親がやり取りしていた。礼一たちは、子供の写真すら送らず、宗像女史に関わらないよう抒情的なことを徹底的に排除していた。そうすることで、親との関係も淡々としたもので済ませらるようだ。
智子たちも、礼一に会うのは3年ぶりで、彼らが本来の明るい性格を見せて、生き生きと暮らしているのを知って、この計画でよかったと思わせられた。赤ん坊の薫は、母親が美人だけあって、目が大きく色白で、ヨーロッパ人種のようにも見え、スイスに溶け込んでいた。日本では、目立ちすぎる容貌であった。ヨーロッパで暮らす結果になったのも天の配剤と思えた。スイスにいる時、一度だけ、K-30が現れて、赤ちゃんがかわいいと言ってくれた。彼女にもいい霊がついているようですが、まだ幼いので、霊も眠っています。宗像さんから離れられてよかったですね。というメッセージを智子の頭の中で呟いていた。
帰国後、智子は、またアロエの研究を続けた。先に提出した癌の治療の役に立つのではという分析の方は、国立科学研究所でさらに進んだ実験が繰り返されているとのことであった。アロエは、アレキサンダー大王やクレオパトラも常備していたと伝えられているが、20世紀でも、ビキニ環礁での原爆実験の犠牲になった第五福竜丸の被爆やけどの治療にとアメリカから大量のアロエべラが送られてきたそうである。そんなに長い時間、やけどなどの治療に有効と言われながら、まだ確実なことは分かってないと言われているので、取り組む学者が少ないのかも知れない。智子は、アロエベラのほか、全てのアロエの種類を取り上げているが、一般には、アロエベラとキダチアロエ以外のアロエに薬効はないと言われている。
智子の生活は、実に単純な日々で、研究をしてない日は、室内の家事に精を出し、時間があれば新刊書を買って読んだ。テレビは、ニュースと天気予報が中心で、ドラマを見ることもなかった。ある時、研究所が珍しく二日の休みをくれた。竹さんが、洋子と智子に熱海の温泉旅館の無料切符をくれて、熱海のサボテン公園を見がてら、ゆっくりしていらっしゃいと勧められた。二日の休みの植物の世話は、竹さんが受け持ってくれるということであった。日にちは、三日後の金曜日と土曜日という急な予定だったけれど、洋子と二人で行く旅行は気をそそられた。この週は、綾先生と美恵先生が北海道に出張で、竹さん、洋子と智子の三人が留守番をしていた。綾先生に許可をもらわず旅に出ることは勝手なのではないかと、竹さんに聞くと、私が電話で聞いておくわと言ってくれたので、許可が出たら、出かけましょうと洋子と楽しく話していた。次の日、竹さんが、先生からOKが出たから、出かけられるわよ、と言われたので、金曜日と土曜日に熱海に遊びに行くことになった。宿題のない旅で、二人は子供のようにその日を待ち遠しく思っていた。
そろそろすみれが咲だす頃。日本の古来のすみれ





