平成25年4月16日(火)
穏やかな日
黄昏猫・2
50メートル先の家で飼われている雄猫『チャオ』・毎日、朝昼晩の三食を食べに通ってくる。もう20歳とも言われている。夕方家に帰る『チャオ』。この二~三日通ってこないので、心配して主人が、その家に問い合わせたら、家の中で元気にしているということであった。ただ、この道は、少し坂になっているので50メートルがきつく感じているのかもしれない。玄関にいつも彼用の食事は用意してある。柔らかで、歯のない彼が舐めて食べられるよう配慮している。我が家の猫の餌よりおいしいはずである。
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智子は、先生たちが宗像女史と霊の戦いをしていることを知らされていなかった。K-30に連絡はなかったのだ。洋子も姉が今回の騒動に加担していることを知らなかった。二人の霊は若かったので、老練な霊との戦いに向かないと思われていた。霊の戦いと言っても、面と向かうことはなく、お互い動きを察して、先に手を打つとか、現れそうな場所を避けるとかであるが、のべつ気を張っていなければならかったので、さすがの綾先生も疲れが出始めていた。
六月の暑い日、風をひいたみたいなので、大学病院で健康診断を兼ねて一日入院するということであった。いつも元気そうで、年より十歳は若く見える綾先生にしては珍しいことであったが、実年齢は、55歳をとうに過ぎて、生活習慣病が出てもおかしくない時期にかかっていた。
検査は、全身の〈MRI〉に及んだため、三日間の入院になった。その間も恵美先生や華子さんは、宗像からの波動をそらすことに、気を配っていた。研究室を早めに切り上げた土曜日に、アデール華子が、彼女の家にみんなを招待した。竹さんだけは、家の事があるからと帰って行った。研究室は、同じマンションの中なので、いつでも訪ねられるのだが、この研究室は、けじめはしっかりしていたので、引っ越しして来て、初めて華子の家をみんなで尋ねることになった。半年ぶりであった。智子も隣のマンション住まいであったが、やはり、訪ねるのは久しぶりであった。智子と洋子は、気が合って、よく個人的な話もするようになり、そんな時間は、智子の部屋でしたので、洋子が智子の部屋に来るという関係になっていた。
「洋子さんの家に行くのは、一年ぶりかしら」と、智子は洋子に言った。
「そんなに来ていない?私たちって、毎日会っているし、そんなに招待してかったとは思えないわね」洋子は、自分の家より、智子の部屋で過ごす時間が長いかなと反省しながら言った。
「皆さん久しぶりよね。イギリスから、美味しい紅茶が送られてきたので、ハーブクッキーでお茶会をしましょう」と、華子がにこにこして彼らを誘ったのだった。ハーブクッキーは、この研究室の定番で、いろいろな洋種のハーブを使って、クッキー焼いていた。洋子は、主に日本の香料を専門にしていたので、クッキーは、従来の研究所風にしかやってなく、世間に発表したのは、紫蘇入りクッキーどまりであった。今日は姉の華子がつくったクッキーというよりマドレーヌが供された。紅茶は、確かにおいしかった。華子は、ヨーロッパに多くの友人がいて、時々日本では手に入らない珍しい食品を手に入れていた。
「綾先生の検査は、どうなのかしら?ここに先生がいないことはさびしいわ」と洋子が言った。
「みんなそのことが気になっているでしょう。風邪は、インフルエンザではなく、だいたいおさまったみたいで、あとは、年齢的にも検査しておいた方がいい個所を調べているということで、大きな支障がある訳ではないんだけれど、結果が出るには、一週間くらいかかるらしいので、詳しいことはその時に分かるらしいわ」と、恵美先生が話してくれた。
「さて、せっかく集まってもらったので、これからの計画について少し話しましょう」と恵美先生は続けた。ちらっと華子を見て、了解を摂ろうとしたのが智子は気になった。きっとよくないことなんだと何となく思った。
平成25年4月15日(月)
風強し
『タロウ』が黄昏れている
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智子と洋子は、勤務先が自宅にいるがごとく近くなり、体力的に、とても楽になった。また、宗像女史の事を気にしなくて済むようになり、仕事に集中でき、智子もアロエの効果について新しい発見をしていた。二千年以上の昔から、アロエのジェル効果は、美容の面で効果があると分かっていても、その分析を正しく明示出来たものがなく、民間療法の一役くらいにしか思われてなかったが、そんなに長い間、信頼されるには、きっと皮膚を活性化させる成分が検出されるはずだと、その成分に近い各種の成分との比較を続けていた。その中で、皮膚の再生力を促す遺伝子に近い成分を拾い上げつつあった。まだ、動物実験の段階であったが、皮膚炎を起こしたハツカネズミには、効き目がではじめていた。智子の生物学も大学での研究員と並ぶほどになってきて、綾先生も満足げであった。
「うまくいったら、論文を書いて大学に提出しましょう。認められれば、博士号が取れるので、一層仕事がしやすくなるわよ」とまで言ってくれた。大学で専攻してなくても、博士号が取れるとは、智子は知らなかったが、それは珍しい例で、誰でもできることではなかった。
洋子は、積極的に、外に出て、日本の香料を使った食べ方を各大学の家政科で教えていた。智子も洋子も活躍する場が、専門的であったので、世間には知られず、大きな成果を上げていた。
竹さんを利用した宗像女史が、そのままおとなしくしているはずはなく、霊の世界では、綾先生、恵美先生それにアデール華子さんを交えて、宗像女史たちの攻撃を食い止める戦いがあった。原宿から退出した研究所について、宗像女史は、半信半疑のようで、竹さんが、『茶観悌』でお茶を買わなくなったことは、綾先生に止められたらしいと察したとしても、彼女を原宿で見なくなったことを疑っていた。勤めを止めさせられたかとも思っているらしかったが、恵美先生や洋子も見なくなったことで研究室自身が引っ越したのかもしれないとも疑い始めていた。

カーテンの裏にいる猫
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綾先生の研究室は、ある大学の付属になっているので、先生の持ち物ではなく、そこの研究が変わることは、不思議な事でもなかった。表面上は、別のグループの研究室に代わるということにして、綾先生は、次の日、目白のマンションに代わることを決めた。移動にあたって重要なのは、植物たちの環境であるが、一番大事な植物は、大きな冷蔵庫に入っているし、温室はそのまま移動できるので、マンションの電気容量を変えるだけで、全てはすぐ稼働できるのであった。急な引っ越しに驚いたのは、竹さんだけであった。それだけ竹さんは、普通の人で、今回の引っ越しの原因が彼女による結果とは考えてもいなかったので、それはそれで、これからの彼女との生活がやりやすかったのである。綾先生は、竹さんを大事にしていて、彼女が、唯一、子供もいて、家庭らしく暮らしていることを大切に思っていた。竹さんは、この研究所の職員は、全員霊力があることを知っていたが、気にしていなかった。霊力を実感してないので、大したこととは思ってはいなかったのである。
引っ越しは、一週間後と決まった。竹さんが、熱海の火事を自分が薦めたホテルとは考えてもいないということが分かって、洋子と智子は、三日後に、いつもと同じように出勤して、引っ越しするにあたって気を配らなければならない植物を柔らかな紙やビニールで包んでいた。
引っ越しは、朝5時から始まった。初めに、植物から動かした。他に家具類専門の車が来たが、ニ台の車のナンバープレートは、長野県であった。長野に移動する形がとられていた。用心にこしたことはないと、恵美先生が手配したのだ。そしてあっという間に目白に移動した。
目白のマンションは、原宿のより広くて、使いやすそうであった。すべての道具も午前10時までには、移動できた。マンションの中の整理には、しばらく時間がかかりそうであったが、ここまで来てしまえば、あとはゆっくりできた。
竹さんの『茶観悌』利用は、綾先生にそれとなく注意され、代わりに綾先生から、中国の特別の鉄観音が送られて、今度からこの種類を使うよう進言されていた。その鉄観音は、100万くらいする一番上等のものだったので、竹さんは、心から綾先生に感謝していた。『茶観悌』が怪しげな宗教であることをそれとなく伝え、弱みにつけこむ怖い団体であることを5年前のサボテン公園の火事と結びつけ話した。竹さんもサボテン公園の事は、恵美先生がせっかくの研究をとぎらせられて、苦しんだことをよく知っていたので、『茶観悌』に近づかないことをみんなに誓った。この引っ越しは、さすがに宗像女史には、気づかれなかった。原宿の研究所は、しばらく人が出入りして、まだ稼働するように見せながら、一か月後には、別の大学の植物の研究所に変わった。同じような研究所になってくれて、綾先生はほっとしたとみんなに言った。宗像女史が智子の勤務先を原宿のマンションと勘違いしてくれるからだという。

