平成25年5月2日(木)
よく寝ている『よっちゃん』白目になっている。2キロで家に来たのに、今は6,5キロまで育ち、あるく姿は、ライオンのように肩が動く。
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綾先生は、研究のほとんどを大学で学生や他の研究者と共同で行っていた。毒の研究なので、非常に緊張を強いられ、おまけにナノ単位での分量を扱っていた。毒と良薬の境を色んな毒から計るという危険な仕事でもあった。この仕事は、薬品会社の依頼で始まっていたので、失敗は許されなかった。五十歳も後半になって、綾先生は疲れを感じるようであった。時に、智子たちのいる研究室に寄るけれど、ほとんど休憩室で、お茶を飲んだり、洋子と料理の話や竹さんから経理状況を聞いたりするばかりであった。智子には、自分の研究に集中するようにと言うだけで、あまり構わなくなった。智子も、かつて、先生に『いつかこの研究室を任せたい』と言われたことがあることを肝に銘じて、実績をあげたいと思っていた。
智子の研究もナノレベルでの分子の分離から、ある程度アロエの実態が見えてきていた。役に立つアロエは、アロエの種の中の一割であって、その中でもキダチアロエが代表であることはよく分かっていて、その中のどの分子が、人間の皮膚とうまく合致するかを解明することであったので、実験も必要で、マウスを使って、皮膚病が治る速さなどを調べていたので、時間がかかった。アロエのように長い間、民間薬としてすでに安全として使われている植物は、あまりその成果を期待されてはいなかった。智子もそのことを承知で取り掛かった研究なので、何を自分は見つけたいのかわからない時期もあったが、今では、このアロエがもたらす力を科学的に解明することで、薬品会社などが本格的な薬として使えるだろうと思えた。植物は、土にも影響を受けるので、様々な土にキダチアロエを植えて、大まかには、酸性土かアルカリ土を探っていた。K-30が自分の母親が試みていたいろいろを教えてくれるので、余分なことを省くことができた。
智子の研究は、6年にわたって続いていたので、研究者の間では、よく知られるようになり、中には、彼女と同じ研究を始めるものも出た。智子は彼らと、たまに情報を交換して、早く自分の研究の成果を出したいと思っていた。ある時、何日も水をやるのを忘れた鉢があるのに気付いたが、そのアロエが枯れずにあったので、土からジェルに至るまで細かく調べて、保水力の強い分子を見つけた。それがきっかけで、智子は、アロエの研究に一つの区切りをつけることができた。

平成25年5月1日(水)
三菱重工の社員寮だった四階建てのビルの建物。300人近く住んでいたのではないかと思われる大きなビルを取り壊し始めた。10年くらい無人で、そこに猫が10匹くらい住んでいる。黒猫が多い。ボランティアの方が、助けたいと言ってくれている。私の家は、6匹で手いっぱいなので一匹も引き受けられず、いつもこの前を通ると心痛む。
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「智子さん、今日手伝ってもらえる?」と恵美先生に呼ばれたのは、昨夜、K-30と話した翌日の事であった。
「昨夜、あなたの霊が来て、私の役に立つと申し出てきたそうなので、今日の実験に立ち会ってもらいたいのよ」と、恵美先生は、真剣な顔を見せた。
「はい、お手伝いさせていただきます」と、智子も恵美先生が今日行う実験の重大さを心得ているかのように答えた。
「智子さんというかあなたの霊が、私と同じサボテンに触れていたということを知ったので、この毒の微妙な動きを見ていてほしいのよ。この毒は、揮発性があって、それは、マスクくらいでは防ぎきれないかもしれないけれど、揮発する一歩手前で、調香を止めればいいわけで、その時を教えてほしいのよ」
「たぶん私の霊は、それが分かるのでしょう。昨夜そのことを私に言ってましたから」
「では始めましょう。ここに、あるサボテンから抽出した液があって、これをある程度に詰めて固形化するのだけれど、揮発性の沸点の前に止めなければならず、その温度を千分の一で計るという一瞬なのよ。これの固形化ができれば、神経を休める薬として役立つはずなの、毒草には、薄めて使えば、命を救う力がある植物が多いのよ。少しづつ進めるので、ぎりぎりの瞬間そこのパソコンンでエンターキーを押してください。即座に操作が止まるようになっているから」
智子さんは、恵美先生の実験は、何もわからなかったが、この件は、彼女の守護霊であるK-30の仕事と割り切り、恵美先生の一番大事な瞬間に関わるため、勇気を奮い立たせた。頭のどこかで[大丈夫です。信頼してくだい]とk-30がささやいていた。
万が一のために、智子と恵美先生は、毒ガスに対抗できるマスクをつけた。この日は、竹さんも休みで、二人のほかに人はいなかった。助手の男性研究者は、昼から来ることになっていた。
熱は、特別の電気装置でステンレスのコップに入っている液体を温めはじめた。それは実にゆっくりと温められたので、たった100cc位の液体に2時間かけていた。そろそろ限界らしいと思われる頃、智子の手が、エンターキーを打った。恵美先生が何も言わずに振り向いたが、そのまま、二時間温度が下がるのを待った。
「開けるわ。まー!なんて素敵な結晶ができたのでしょう」恵美先生は見たことがないほどうれしそうな顔をして、智子を呼んだ。マスクは外して、つくづくと出来上がった結晶を見ていた。それは、ステンレスのカップの底に5ミリくらいの高さでキラキラ光って存在していた。恵美先生はすぐ計器を見て、
「この最後の2秒をつかむ ことがなかなかできなかったのよ。智子さんの霊のおかげよ。よく奇跡というでしょう。こういう難しい実験には、人間力だけでは遂げられない分野があるのよ。感謝してると言っておいてね。あとは、この記録に沿って、液体の量を増やして、何度か実験を重ねれば、新らしい薬品の原料を発見したことになるわ」恵美先生は、つくづくと出来上がった白い結晶を眺めていた。
「その結晶は、無害なのですか?」と智子は聞いた。
「無害ではないけれど、青酸部分は抜けたのよ。時間がかかると、青酸が発生してしまい、実験者は危ないでしょう。熱が足りないと結晶化しないのよ。難しい性質なので、まだ誰も成功しなかったの。あなたの霊が、このサボテンの毒で亡くなったと聞いて、お願いする気になったのよ。智子さんを見てると、あなたの霊は、とても勉強家のようじゃない。その彼女が助けられるというからには、タイミングを知っていると思ったのよ。本当にありがとう。長い間かかった取り組みだったけれど、やっと、みんなの希望がかなえられるんだわ」と、恵美先生は、半分泣きそうになって話していた。
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恵美先生の成功は、その後半年かけて、実験が繰り返えされ、仕上げは、彼女の大学の研究室で行われ、その成果が、大きく取り上げられて、新しい精神薬の原料になると期待されている。それが報道された日は、綾先生の研究室あげてお祝いの食事会をした。料理は、洋子と智子が受け持ち、日ごろ出入りしている編集者や研究者たちも交え、15人くらいが招待された。ほとんど半日その騒ぎは続いた。宗像女史たちの事を気にしなくなって一年近くたっていることも大きかった。また竹さんが嘆いていた、赤字の件も恵美先生の研究に大手の薬品会社から援助が入り、黒字に転向できたので、彼女もご機嫌であった。華子さんが、スイスのチーズをいろいろ揃えてくれて、食べ物が華やかで、お酒もウイスキーからワイン、日本酒とバラエティに富んでいた。
「先生もっとたびたびこんなパーティをしましょうよ」と10年の付き合いのある科学誌の編集者に言われていた。若い青年たちもしたたかに酔って、「そうですよ。研究ばかりでは体を壊しますよ」と叫んでいた。
よほど気楽に酔えたのだろう。中には、休憩室で眠っている若者もいた。
「ほんとにこんな会がたびたびもてるといいのにね。人生を楽しまなくてわね」と綾先生も言っていた。

平成25年4月30日(火)
ただの猫として存在『タロウ』・イギリスから直輸入の伸縮自在のテーブルに座っている。もう35年ものだけれど風格は衰えない。直輸入製品が日本人に合わないと分かったのは、椅子が背とかみ合わず、いつも足をぶらぶらさせているような感じになっている。
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「赤字が始まったのは、5年前あたりからかしら、あの頃、伊豆の火事騒ぎなどで、恵美先生の研究も滞ったでしょう。綾先生も 研究の中心地を大学に移して、すこしでも雑費がこの研究室にかからないようにしたのだけれど、その後も、いろいろあって、少しづつ赤字がたまって、引っ越しと蔵王行で、誰かが、研究の成果を出さないとこれ以上の持ち出しは、厳しい現実だわ」と竹さんが珍しくはっきりしたことを言った。
「そうなの。私の力では、あまり研究室に貢献できないかもしれないけれど、みんなの健康を維持するクッキーぐらいは、出来るだけ工夫して、皆さんに頑張ってもらうわ」洋子は、気軽そうに言っているが、彼女は[日本のハーブの力]というサブタイトルの料理の本を二冊出している。そのことで、世間的に知られた若手の料理人になりつつあった。原稿料は、彼女の物であったが、稿料の20%は、研究室に収めていた。また、彼女に研究室から給料は払わなくてよくなった分、彼女自身は研究室に一番貢献していると言えた。洋子が研究室に来るのは、自分の料理の研究と、保管されている植物への水やり当番を引き受けていたからであった。売れっ子の料理講師なので、月の内、半分は外で仕事をしていた。そのため、研究室にいつもいるのは、竹さんと智子と恵美先生の三人であって、しかしそれぞれあまり話もせず、自分の仕事に没頭していた。
智子は、竹さんと洋子のひそひそ話を漏れ聞いて、どうも自分がここに参加したことで、研究室がひっ迫してきたんだと恐縮するばかりであった。綾先生が、研究に集中して早く成果を上げるよう厳しい顔で言ったのももっともだと思った。アロエは、世界中で2千年以上も前から健康にいいと知られているのに、いつまでも民間療法の域を出ないことに気付いて、その分析を研究課題にしたのは、正しかったと思われるのだが、あと一歩、薬品会社が飛びつくような発見ができないでいた。
K-30にとってもアロエには親しいのだが、やけどなどに、父親がジェル部分を使ってシップをしたということぐらいしか認識がなく、共に今研究をしている状態であった。
「あと何を見つければいいのかしら」顕微鏡をのぞきながら、智子が頭で呟くと、K-30が、[火傷や胃腸炎にも効くという事は、皮膚の細胞を活性化させる何かを持っているということですよね。その酵素を見つければいいのでしょう。そうすれば、皮膚に関わる癌を含め炎症という状態を緩和できることができるのではありませんか]と語りかけてきた。「そう思ってずっとやっているのよ。ナノレベルまで細かくしないと見つけられないのかもしれないわ。今度ナノレベルに粉砕できる機材を利用して調べてみましょう。綾先生に頼んで、大学で研究しなくてはならないから」と智子は、一歩進んだ気になった。
恵美先生は、綾先生から紹介された30歳代の若者二人に、今までの研究課程の文献をパソコン上で整理させていた。彼らには慣れない仕事らしくて、恵美先生に質問することが多く、先生は、そのたび自分の研究の手を止めていた。K-30が青年たちが現れてから、恵美先生の研究に興味を示しているのが分かった。「あなたも仲間になりたいの?」と智子はからかい気味に聞いた」[そうじゃなくて、あの毒に私はやられたと思うので、気になるのです]と答えてきた。[あの毒は、揮発力があり、ある一定の量に達すると、青酸を生み出します。そのためそれを吸い込むと、気を失うか、下手をすると死にますから、若い研究者たちが、そのことを承知しているのか気がかりなのです]「え・・!そんなに危険なの!先生に知らせた方がいいのかしら」[わかりませんが、毒の検出をしている時、私も傍にいたいですね。私なら、危険な限界が分かりますから]青年たちが来て、一週間くらいした時の会話で、彼らが恵美先生の研究に慣れだした頃のことであった。恵美先生も、綾先生の切羽詰まった厳しい調子を真剣に受け止め、今までにないスピードで、実験に立ち向かっているらしかった。
「夜、恵美先生の霊と話して、先生に注意を促したらどうかしら?少なくとも黙っているよりいいでしょう、その時、あなあたが、危険な限界を知っていることも伝えてもらったらどう?」
「そうします。これ以上この研究室に悪いことが起こらない用、万全の処置をとりたいです。智子さんを救ってくれた研究室ですから、何かお役に立てれば何よりです。今晩恵美先生の霊に会ってきます。明日は休みですから、私が留守にしても朝寝坊して体を休めてください」
