平成25年5月5日(日)
助けたい子猫群・4ヶ月くらいという
左端の猫を 5月3日に助けた。雌猫だったので、良かった。
今日、あとの3匹を捕まえに行って、全部逃がしてしまう。縞猫は、抱っこできたが、他の黒二匹を助けようと思っている。縞猫は最後になる。近くに親猫が見えない。この横では、ビルの解体工事が始まっているが、今は、休日で、猫を救うには絶好の時期。
上の写真の左端の猫。手でつかまえて助けた。今、ボランティアさんに預けている。手術や予防注射などをしてもらって、里親を捜してもらう予定。人になれているので、もらってもらえそうだという。
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智子と洋子は、無事に旅行を終え、いつものように研究所で働き始めた。イギリスに出した智子の論文は、向こうで認められ、智子の留学の許可が下りた。日本での研究が、一段落したら、ケンブリッジ大学の理学部に留学できるということであった。日本の研究と言っても、イギリスに提出した論文で智子のアロエに関する一仕事は終わっていて、あとは、膨大な実験の後始末をしているようなものであった。病気が治ったマウスをどうするのかも課題であった。そのままペットにするわけにもいかず、他の実験者が使うこともできなくて、殺すのも忍びなく、ぐずぐずしていたら、生き残った8匹を洋子が面倒を見てくれるという。研究室に、彼らの住む部屋を作り、寿命をまっとうさせてくれるという。智子はどんなに感謝したか分からなかった。智子だけ、公費で留学することに引け目を感じているのに、ネズミの世話までしてくれる洋子にどうお返しをしたらいいだろうと思っていた。綾先生は、智子が、イギリスの大学で、成果をあげれば、洋子さんも張り合いが出るのよ。と言っているが、そんなことでいいのだろうかと思えた。
「毎週手紙を書くわ。簡単な事は、メールを送るし、私ほど皆さんに気にかけていただいた人はいないわね」と、智子は、研究室の仲間全員に言って回った。3か月後の九月に、イギリスにわたった。

平成25年5月4日(土)
浮間のサクラソウを買って、30年以上育てている。今年は花付が悪かった。中が白くて、外がピンク色。ニホンサクラソウは、サクラソウだけでもそのことを指す。花屋で見るのは、外国のサクラソウ。
かつて、荒川沿いにこのサクラソウが葦の干潟に満開に咲いたそうで、今は、沿岸工事とその場の土が使われ、まったくなくなってしまい、それより上流の場所に天然記念物として保存されていると聞く。
今日はこれから、長男のピアノ発表会なので、守護霊は、夜書きます。もうすぐ終了です。
平成25年5月3日(金)
ミヤコワスレ・薄紫の種類で、これは強い。本当の紫色の種は、場所を選び、わが家で、長い間育てましたが、ついにゼロとなりました。
これから五月は、花が中心になります。明日は、バラ園を訪ねます。
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智子さんのアロエの研究が、一段したと思える頃、綾先生に、この研究の一部を英訳して、イギリスのケンブリッジ大学の研究室に論文として送るよう勧められた。そして、二年くらい留学する権利を得るようにとのことであった。智子は、英訳をK-30の力を借り、一ヶ月で仕上げた。イギリスに行けるかもしれないと、K-30が寝る間も惜しんで頑張ってくれたが、それは同時に智子も大変疲れることであった。しかし、おかげで立派な論文が出来上がり、まるでネイティブの英語のように流暢な文になった。
「あなたの霊は、英語に強くていいね」と綾先生に言われた。綾先生の霊は、中国人なので、日本語の会話が主で、ヨーロッパに関しては、智子の方が有利であった。論文は、パソコンですぐ送られて、審査に二か月かかると言われて、綾先生に、その間、日本の神社のいくつかを訪ねるよう指示された。智子は、もともと神社の出で、そのことが原因で、宗像女史に狙われた経緯があったのだが、宗像女史が、誰かに襲われ、彼女の霊力が奪われてからは、その方面について心配がなくなり、この一年余り、話題に上がるどころか、みんな忘れてしまったくらいであった。
「神社に行って、なにか不都合なことは起きませんか?」と智子は、かつてあんなに用心したことが思い出されて、綾先生に聞いた。
「あなたは、一度は、自分の神社に詣でて、自分の活力を補強しておく必要があるのよ。日本の力かしら。外国に出れば『天』という苗字を旅券で使うでしょう。先祖伝来の神社に始まって、ゆかりの神社にも詣でてくるといいわね。10日くらい使っていいわよ。あなたの研究で、薬品会社から謝礼が出ているから、それを使って、一人ではつまらなかったら、洋子さんを誘えばいいのじゃないかしら。あなたが留学してしまうと、彼女は寂しくなるのよ。今のうちに思うぞんぶん話しておきたいでしょう」綾先生が勧めてくれることには、それなりの意味があるのだが、智子は、詳しくは聞けなかった。
洋子は、喜んで智子との旅を引き受けた。彼女自身は、月の半分は、自分の講座やコラム記事の仕事に使っているので、10日休むとなると、それなりに準備が必要であった。綾先生から話しがあった20日後に二人は、出かけた。九州の熊本にある『天』家の神社から始めた。
智子が、この話を父親にした時、父は、心から喜び、何かあった時、手助けになるという神社のお守りを貸してくれた。それは、小さいが短刀であった。『天』家の家紋が入っていた。智子はそれを初めてみた。
それは、天という字が逆さまになっているようにしか見えなかった。
「バランスをとっているんだよ」と父は言っていた。「名前が強いからな」
やはり強い名前なんだと、智子は思わされた。外国では何でもない音だから、弟たちはやっていけるのだなと改めて思った。
「神主さんによろしくと伝えてくれ。お前の爺さんの代から、だんだん疎遠になって、いまでは、年に一度だけの挨拶しかしてないから。母さん共々何とかやっていると言っておいてほしい。俺の爺さんまでは、有名な神主だったんだから、覚えている氏子もいるんだろうが、俺もお前の弟も霊力が見えないのだから、早く神社から遠のけて良かったかもな」と父は、少しさびしそうに言った。
「お土産何か欲しい?」
「神社で何か売っているだろう。そんなものを買ってきてくれ」
智子は、『天』家は、父の代で終わったんだと思えた。智子は、子供が生まれず、弟家族は、スイスイに暮らし続けて、生まれた子は女の子で、この子が、日本に帰ってくる気配はなく、智子の守護霊は、イギリス人と来ている不思議さを思った。
洋子の家も鹿児島にあったので、実家に寄りがてら、そこの神社を詣でた。九州一円、だいたい天照大神系の神社で、どこを詣でても日本の神社であった。福岡には、宗像の本家があるようだが、その地は避けた。いくら霊力を失ったとはいえ、あれほど強い意思のある宗像女史が、本家に何らかのバリアを張り巡らしていないわけはないと思われたからであった。その後は、四国と紀伊半島の古い神社を訪ね、あっという間の10日であった。旅行中、何の心配もなく、日本の古くから残された名所旧跡を巡る旅のようであった。伊勢神宮では、智子と共振する何かがつかめた。その前に、『天』家の神社では、もっと強烈な縛られるような感じを受けたが、短刀を握った時、その縛りから解放された。父がお守りにと言ったのは、この事だったのだろうと思われた。神主さんは、親切で、「智子さんの事は、年賀のあいさつなどでご活躍伺っています。弟さんは、スイスにお住まいとか、日本の神社の跡継ぎでしたのに、ヨーロッパに縁があるのですね。『天』という名の通りですな」
と、神主さんは、分かったように言っていた。そして、父がほしいと言っていた神社にゆかりのあるお守りやお札などを様々くれて、「今こうしてやっていますから、どうぞご心配なく」と、神社の現状を穏やかな表情で話してくれた。
「父への何よりのお土産です」と智子は言って、初めて見る自分のルーツの前で写真を何枚も撮った。

