「横丁学会・三ノ輪遊歩」は下準備なしですが…… | 小林一郎と歩く「ガード下」と「横丁」

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「横丁学会・三ノ輪遊歩」は下準備なしですが……
遊歩のナビゲーターをされる場合、事前に資料を集め、読み込み、ルートを考え、実際に歩いて時間を計り、さらに遊歩後の飲み屋についてもあたりを付けておく――という作業をこなしています。このなかで一番大変なのが時間の割り振り。早く終わってしまっては飲み屋が開いていないし、遅くなれば「早く飲み屋に入りたい!」なんぞという小生のようなものも登場します。ということで、大変な負担をお掛けしながらなんですが、久々の小生のナビゲート。実は、な~んにも下調べもせず、ルートも考えず、飲食店の当たりも考えず。一応、三ノ輪は毎日ツーキニストで通っている、ということと、大学の公開講座なので歩いている、とうこともあるんですが、まあ行き当たりばったり、というのもいいのでは、と自分自身で勝手に納得しています。
ただ、今回の、三ノ輪遊歩、戦災の地図を用意いたしました。東京大空襲の地図です。これによって三ノ輪が路地街になっている原因を探ります。とはいえ、実はこの被災地図を見れば分かりますが、三ノ輪橋の駅の付近は3月9日夜の空襲を受けていません。ということで、関東大震災後の帝都復興区画整理地図、さらにこれだけでは三ノ輪地区の説明ができないため、江戸切り絵図(駿河屋版)も用意いたしました。ここまでくると、三ノ輪の武家地が明治維新以降、桑茶令を受けて、桑畑にしたのかどうかが大きな要素として浮かび上がってきます。
今回の遊歩は、最初に少し時間をいただき、三ノ輪という地域の「場」について説明させていただき、なぜ〈路地街〉になったのか、それぞれテーマをもって歩いていただこう、と考えています。――ということで、ただ飲みに繰り出しているだけじゃないでしょう。