内藤大助さんで有名になった京成の立石を訪ねました。印刷所に原稿を入れるため、30年前にちょっと訪ねたことはありましたが、実質50年ぶりの訪問です。
ボクの立石のイメージは、駅前から奥戸街道まで続く華やかな仲見世商店街。背の高いアーケードがあり、肉屋に八百屋それに魚屋があって、みんながそれらの商店に買い物に行って生活していた街です。
ところが、肉屋は花屋に変わり、その花屋はラーメン屋に変わり、そのラーメン屋は韓国の焼肉店に変わって営業。八百屋も飲み屋に。今、この商店街はほとんど飲屋街。しかも昼間から呑める飲屋街です。昼間から呑めるのは嬉しいことですが、商店街が滅びていく姿を見るのは辛いです。
少し、視線をあげてこの商店街を歩くと、欄間看板が行灯看板になっているのに気づきます。昭和30年代には日が暮れると蛍光灯がつき明かり採りをかねたオシャレな看板でした。
飲み屋が増えると再開発計画が生まれるのか、再開発計画が頭をもたげると飲み屋が発生するのか、商店街→飲屋街→打ち壊しの据え、再開発ビルの誕生という数式が見えてくる。
立石の仲見世が飲屋街になったのはここ数年のことのようですが、これで思い出したのは、赤羽の商店街。商店街が今や昼から飲める飲屋街に変わってしまっています。
駅前の商店街は昼間から飲める飲屋街!
商店街を彩るあでやかな街飾り。アーケード内を明るくしている!
呑んべい横丁にはかつて衣料品店だった看板も残っていた




