Coffee and Cigarettes -37ページ目

Coffee and Cigarettes

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今日は結構な雨。6:20のベランダからの景色。

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朝が曇りだと、気持ちも何かどんよりしてしまう。

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会社から近いので、よく行くラーメン屋「どみそ」の特みそこってり。
あんまりラーメンは食べないんだけど、ここのはムショウに食べたくなる。
先週末は子供と上野動物園に写生へ。
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クレパス、クレヨン、色鉛筆、スケッチブック


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お題はキリン。
左は子のキリン。右は僕のキリン。


以下はここ最近買った本。
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子供の頃、父親に「旅行に行くんだったら、その国の事を理解してから行くと面白い」と言われた。
昔勤めていた音楽制作会社で社長に「これから会うアーティストの作品は最低限聞いておくように」と言われた。

知るって事は愛情でもあるし、礼儀でもあるよなあ。
知ってる事で、色々な視点で見れて考え深くなるよなあ。

そんな風に思って、身の回りの事を知りたいと思っている。


家族の事や両親の事、兄弟や友人の事、祖父母や親戚の事、住んでいる町の事、一緒に仕事をしている仲間の事。どれだけ僕は知ってるんだろうか?僕の周りの人たちもどれだけ僕の事を知っているんだろうか?

愛している「つもり」になっていないようにしたいもんだ。
そして愛されていると勝手な妄想に浸らないようにしなくちゃ。
今月は旅行三昧だった。
そして偶然にも全ての旅行先は栃木県だった。

日光、湯西川温泉、足尾銅山への旅行と那須塩原方面への旅行だった。
特に印象深かった事を以下感想として。

・日光東照宮の3猿、眠り猫、泣き龍、どれもこんなだったけ?と肩透かし。
・平家の落人が開拓したとされる湯西川まで山奥に進む事1時間。近所ではダム、高速道路工事でダンプカーの往来がすさまじかった。宿で働く人の感想は「1時間かかっていたのが10分で来れちゃいますから!」と嬉しそう。僕が望むものと相違あり、考え深い。
・足尾銅山蝋人形、怖すぎ。
・平日の旅行はどこもガラガラ。色々な場所が貸切状態。もちろん温泉も。これ嬉しい。
・那須塩原の一日目の夜から大雪。
・那須塩原の二日目、足湯中に現地人の39歳、41歳の男子と話込む。昨日の大雪は昭和40年頃にあった大雪以来だとの事。そしてこの2人は若い頃に暴走族で牢屋に入れられた時に意気統合した腐れ縁との事。
・都心から3時間の観光地那須で話込んだ、この2人の言ってる事、訛が結構あって言ってる事の殆どが理解出来なかった。観光地から観光地を渡り歩いていては感じ得ない事だと思われる。
・目的地の途中で見る景色が面白い。田んぼとか山とか。そこで過ごす人の匂いがする。
・南が丘牧場のソフトクリームに脱帽。ジャージ牛、恐るべし。
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うう~ピストバイクが欲しい!!

しかしロードバイク持ってるし。事足りてるし。

まず、今のロードを改造する。大いに。以下参考バイク。


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宮本常一の「家郷の訓」を読んで、教育について色々考えさせられた。
エミール・デュルケームの著作「教育と社会学」(この本、今すごく欲しい!宮本常一はこの本に影響されて家郷の訓を書こうと思ったらしい)に教育とは、「年長の世代(大人)が年少の世代(青少年)に、自分たちの社会・集団の伝統・知識・技術などの総体(文化)を伝達する営みである。子どもは、自分がどの社会に生まれおちるのかを選択することができない。ただ成長して、その社会の一員になっていく過程で、社会で共有されているルール(規範)や行動様式などを身につけていくとされる。つまり、教育とは子どもを社会化させる(その社会の将来のメンバーにする)営みである」と書かれている様だ。

まず1つにこの事は教育をする上で非常に大事な考え方だと思う。
家郷の訓にも「村のしきたりに即す事は一見自分の世界を狭くするように見えるが、一番自分の個性を発揮できる手段として、これが非常に大事である」という様な事が書かれている。
僕の社会は子供の社会でもあるのだから、例えばマンションの理事会や町の集会や会合、祭りごとなども積極的に参加する事は教育上、大変重要な事なんじゃないかと思う。


もう1つは環境についてだ。
宮本常一の子供の時分は「家に居ても波の音や風の音を聞くだけで、明日は雨だとか晴だとかが解った。言わば風と波の音は僕の気象台だった。」と書かれている。遊びにしても目の前が瀬戸内海で、隣には宮の森と呼ばれる森があり、とにかく自然と一体になって成長してきた。これは今の僕の生活環境の上で、子供にそこまでの環境を与える事は出来ない。彼の感受性や創造力は自然から多くを学んでいるが、僕の子は実際どのような事からそれを磨いていくんだろうか?と立ち止まってしまった。
出来る事はやまほどあるような気がする。


もう1つは態度についてだ。
こんな話が書かれている。大分要約するけど「その昔は女中奉公に子女が行っていた際、親に何も告げずに家を出た。最初は親も一生懸命に捜すが、その内奉公に行ったのだと悟り諦める。しかしながら子は後ろめたさを感じるのか必ず村に戻ってきて村で結婚をした。
その内、村工場などができるとそちらの方が給料も良いとかで奉公する事が少なくなった。女工がやってきて工場への働きを勧誘する仕組でそれによって親に承認を得る、よって家出のような出方も同時になくなった。すると子は工場のある町などで良い人をみつけて村に戻らなくなった。」

この出来事は非常に興味深い。
承認を親が子に与える事で、それに関する子が持つ責任感というか、いけない事をした時の反省というか、そういったものが萎えるって事だ。親が子供をどれだけ信用して放任出きるか?そういう信用を親は培う為に日頃から子と接するっていう側面もあるよなあ、と考え深い。


最後に孝行について。
この本の中に宮本常一の父親の言葉がある。非常に印象的な言葉なので、以下に留めておく。
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(1) 汽車へ乗ったら窓から外をよく見よ、田や畑に何が植えられているか、育ちがよいかわるいか、村の家が大きいか小さいか、瓦屋根か草葺きか、そういうこともよく見ることだ。駅へついたら人の乗りおりに注意せよ、そしてどういう服装をしているかに気をつけよ。また、駅の荷置場にどういう荷がおかれているかをよく見よ。そういうことでその土地が富んでいるか貧しいか、よく働くところかそうでないところかよくわかる。

(2) 村でも町でも新しくたずねていったところはかならず高いところへ上ってみよ、そして方向を知り、目立つものを見よ。峠の上で村を見おろすようなことがあったら、お宮の森やお寺や目につくものをまず見、家のあり方や田畑のあり方を見、周囲の山々を見ておけ、そして山の上で目をひいたものがあったら、そこへかならずいって見ることだ。高いところでよく見ておいたら道にまようようなことはほとんどない。

(3) 金があったら、その土地の名物や料理はたべておくのがよい。その土地の暮らしの高さがわかるものだ。

(4) 時間のゆとりがあったら、できるだけ歩いてみることだ。いろいろのことを教えられる。

(5) 金というものはもうけるのはそんなにむずかしくない。しかし使うのがむずかしい。それだけは忘れぬように。

(6) 私はおまえを思うように勉強させてやることができない。だからおまえには何も注文しない、すきなようにやってくれ。しかし身体は大切にせよ。三十歳まではおまえを勘当したつもりでいる。しかし三十すぎたら親のあることを思い出せ。

(7) ただし病気になったり、自分で解決のつかないようなことがあったら、郷里へ戻ってこい、親はいつでも待っている。

(8) これからさきは子が親に孝行する時代ではない。親が子に孝行する時代だ。そうしないと世の中はよくならない。

(9) 自分でよいと思ったことはやってみよ、それで失敗したからといって、親は責めはしない。

(10)人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
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僕は(8)なんかが非常に印象的で、非常に広い見識をもった方だったんだなあと思える。今の時代も同じ事が言えるんじゃないかと思う。これからの親は「自分の子供がこれからの日本を背負って立って行く」事を思えば、後世に後世にと時間やお金を費やすべきという様に考えていかなければ、本当に日本という国はどうにかなってしまうぞ、と心を改めるべきだと思う。
「自分だけ」という個人主義をとっていてはもうこの時代は駄目なんだぞ!と。

なげえー日記になったけど、思う事がとても多くあった。
宮本常一の「日本人の食べもの」についての日記の続き。
最後は「暮らしの形と美」について。

宮本常一ならでは、「日本のデザイン」のルーツを民族学の視点で解き明かしている。
まず日本人は農耕民族であるという前提がある。
農耕する為にはまず整地する事が必要である。
日本は気候的に非常に植物が育ちやすい環境のようで、鬱蒼とした森林地帯だったようだ。
これを整地する為に非常な労力を使う。

木を切り
草をとり
土を耕し

今では機械に頼ることが出来るが、昔はまず自然と効率よく戦う為の「道具作り」から始める。
この「道具作り」に日本のデザインのルーツを宮本常一は見出している。

木を切る道具としてののこぎり。
草を刈る道具としての鎌。
土を耕す為の犂 (からすき)。
その他にも鉈(なた)、手斧(ちょうな、ちょんが)などあるが、どれをとっても押すのではなく、引くことが主になっている道具である。
こういう事からも“日本人は攻撃的ではない”と言っている。

もうね、凄いよね。
この視点。この思考。

木との戦い、草との戦い、土との戦い。
生きるという目的の為に食があり、食を得る為に土を耕す。
こういう流れで見ると、道具作りから始める環境だった頃はやっぱり「戦い」だったんだと深く納得できる。

その上で戦う為の道具を見て、日本のデザインのルーツとし、そこから日本人の特性までと探っていく。
そう!こういう事が出来ちゃうのが民族学なんだろうね。
宮本常一の「塩の道」についての日記の続き。
続いては「日本人の食べもの」について。

杉樽というものが関西で作られ、それで酒を作る。関東の人がその酒を樽ごと買う。
関東から関西に樽を返すのも大変な労力なので、じゃあどのように樽を生かそうと考え、その上で漬物が生まれ、その頃千葉で精製されていた醤油がとても発展したという事だ。
こういう1つ1つの食べものに面白い歴史が潜んでいる。そしてとても上手にあるものを利用し、凄い創造力で新しい食べものが生まれ、またそれをしっかりと流通させる技術を持っていた事に驚かされる。

食べものへの人の思いというのも今と昔とでは大きく違いがある。
今では食に対しての価値観は「どれだけ美味しく、そして楽しめるか」という事が重要とされているけど、昔の価値観は命を繋ぐためのものとしての価値観が強かったようだ。こういう価値観だったからこそ、保存食という蓄えの技術が発展しえたし、身の回りにある環境でどのような食材が摂れるかを試行錯誤している。そのおかげで僕らは今様々な食材を楽しめている。

時々、「この食材初めて口にした人、凄い勇気だよね」という事を話すけど、全ての食材に昔の人の英知が宿っている事を再認識して感謝したいと思った。