
国立公園の生みの親ジョンミューアの伝記的な小説。
どの時代にも救世主なる人間というのは、現在から過去を振り返るとそれこそ「神がかり的」に存在していて、「居なかったらどうなってたんだろう・・・」と不安を募らせる。
西郷隆盛然り、勝海舟然り。
ジョンミューアが生きた時代のアメリカというのはゴールドラッシュの影響で、物凄い勢いで自然破壊が進んでいた。アメリカのシエラネバタ山脈にある、今も魅力的な自然として国立公園化されているヨセミテやセコイアなどを景観として楽しめるのは、彼のおかげと言っても過言じゃない。
この前に読んでいた星野道夫の本で国立公園に関する面白い話をしていたのを思い出す。
アラスカ以外の国では国立公園というと自然が豊富にある場所だけど、アラスカの場合は逆で、国立公園というと人が一番集まる場所という。だから国立公園に生息する熊が実は一番危険で、人を怖がらない熊が多いらしい。
それだけアラスカは手付かずの自然が残っていて、地平線の向こうに広がる世界もまた、自然と共に広がる地平線が存在する「自然の大きさ」が想像出来ると言う。
ヨセミテやセコイアの国立公園化は、ロビー活動や執筆活動などの宣伝が効果の1つにあると書かれている。その訴えかけ方の1つとして「人が楽しめる=楽しみたい自然」であり、「それらが損なわれる」という考え方があったように思う。
例えばアラスカの自然は「人が楽しめない」、所謂過酷であり交通手段がない。
アラスカに眠る大規模な石油が人間的価値解釈で大事だと思われれば、その自然は壊される。こういう解釈で、これまでも沢山の自然が壊されてきた。
山登り1つとっても、自然と対峙できる今の景色をありがたく思って、その気持ちを噛み締めながら楽しみたい。