
宮本常一は、飛行機から海~陸~谷~山と連なる景観とそこに散在する田と集落、畑や家を見ていて「山に住む人達にも歴史の違い、生き方の違いがあるのでは」と疑問をもったようだ。
この景色を見ていて明らかに田と畑を営む人々通しの交友の境界線があると考えたり、山に向かうに従って成り立っている畑も谷間に向かうに従って途絶えるが谷間には住居が存在している。その景色を見て谷間に住居を構える人達の暮らしぶりに興味を覚えたりと思考の広がりは凄まじい。
彼の行動力には毎度驚かされるが、興味を覚えたら歩き、出会い、話し、住み、経験して自分のものにしていく。そういった経験から得た知識はリアルで引き込まれる。
柳田国男の「山の人生」を読んだ時に感じた精神的というか霊的というか、少し孤高な雰囲気を感じさせる意識とは全く反対のところで彼は山を見ていると思わされる。それはそれは面白いわけだ。
時代は縄文時代まで遡り、稲作というものが日本に広がった時の話しが出てくる。住む場所の定義なく沢山の人々が稲作を行った様に捉えていたが、そうではなくて山間に住む人々は環境によって稲作が行えなかったと考えると、彼らはそのままその環境に住み着き、引き続き昔から続いている狩猟を行った可能性が高いと宮本常一は推測している。
また山間に住む人々が全て狩猟を生活の糧としていたかというとそうではなく、川魚を捕ったり、木炭を作ったり、鋼鉄を作ったり、木で工作(木地師など)して産物を拵えたりして生計をたてていたようだ。それぞれの糧のとりかたにも人々の環境と、そこから生ずる性格の違いというものがあって面白く描かれている。
例えば木地師と呼ばれる轆轤(ロクロ)を使って御椀などを作る人々と、狩猟を行う人々とでは気の荒さも違っていたようで、時代時代で一揆を起こして反抗する人々や、争い事はゴメンと言って農耕に転じたりするのは、この環境の違いによってルール付け出来る様に説明がされている。面白いよな~。
もっと興味をそそるのは、その狩猟を行う人々の時代を遡ると平家の落人だったり、すると武士魂が宿っているとか・・。
血気盛んな人を見たら、「この人の祖先は武士だったのかもなあ」と思うのは案外間違っていないのかも?と考えてしまった。
長くなったけどとにかく面白く、相変わらずジワジワと思いを膨らませてくれる。