海外文学に浸ってます。

変身/フランツカフカ
この作品が本になるにあたってカフカは「表紙に変身後の姿を出してはいけない」と出版社に向けて注意したというエピソードがある。
文中には変身した後の主人公の姿がどのような状態なのか創造を膨らませる場面が沢山散りばめられているのだけど、小説本来の「想像を逞しく働かせる」面白さが、変身後の姿を読者に見せてしまう事で、大きく面白さが損なわれる事がよくわかる。
それだけ状況描写が豊かで、読者は変身後の姿になって読み進め、読みながら場面場面で苦しくて仕方なくなるんだと思う。
それがまた面白くて仕方なく最後にはどん底に落ちるような侘しさや寂しさが込み上げてどうにもならない状態に陥る。
これがカフカ本人の成長期における経験と照らし合わせると興味深い。
何で変身したのか?何故変身した事に家族は疑いを持たないかのか?後書きを読んで、その注意奮起にぶち当たると「確かに!」という思いになるのだけど、この小説にそういうディテールは必要ないのでは?と思わせる、何かよく解らない納得感を感じてしまうのは何なのか?
不思議で怪奇な小説だった。

人形の家/イプセン
戯曲って、ずっとお喋りで物語が進んで、「誰が」をずっと意識しながら読み進めなくちゃいけない「億劫さ」があって敬遠してたけど、一旦物語の中に自分が入ってしまうと、もう億劫さはなくなる、って言う事が解った。
最後は色々考えさせられる事が多かった。これが書かれた背景には「女性解放」という運動が盛んだった事などがあったようで、その聖書ともされた戯曲だったようだ。
人間が作った道徳に人間自身が苦しまれるという社会現象や、世間というものに人がどれだけ意識しているのかという事、それによって犠牲になる色々な物事・・・・・。
最後の最後、こういう展開になるとは!という面白さ。それが非常に超現実的な部分を兼ね備えていて、決して自分の置かれている社会と照らし合わせても矛盾しないリアルさが、これだけ色々と考えさせられる気持ちにさせるんだと実感する。