Kagayaki智子 事務局のかなこです。

 

 

智ちゃんが提唱してる輝道。

それは人が本来持つ輝きを取り戻し、

自分自身の本来の人生を生きていく

生き方、あり方そのもの。

 

その輝道をお伝えしているKAGAYAKI講座の、

 <応用虹コース(42時間)>を受講しました。

少し長くなりますが、KAGAYAKIを受講しての感想や変化を

綴りました。

 

一人でも多くのKAGAYAKIを必要としてる方に届きますように♪

 

《KAGAYAKI 受講しました 番外編 アルバムを探しに行った話》

 

KAGAYAKIを一緒に受講する仲間は、

お互いに刺激を与えあって、

良い作用をし合うと思う。

 

あるとき、受講仲間の一人が、

自分の子どものころのアルバムを持って来て見せてくれたことがあった。

 

それまでのわたしは、自分の幼い頃の写真を見ることを避けていた。

見るのが怖いというか、嫌だというか、とにかく見たくなかった。

 

ところが、KAGAYAKIの終盤あたりになると、

幼い頃の写真やアルバムが思い浮かぶようになった。

そして、仲間がアルバムを持って来てくれたことで、

わたしも「幼い頃の写真を見てみようかな」と、口に出せた。

 

父が1年前半前に亡くなって実家の片づけをしたときに、

処分してしまったかもしれないアルバム。

あるとしたらあそこしかない、と場所もわかってる。

今は弟1人が住んでいてゴミ屋敷っぽくなりつつある実家。

弟がわたしが入ることを嫌がるに違いない。

 

そんな理由をつけて、

実家から車で3分のお墓の前で待ち合わせていた弟に持ってこさせようとしていたわたしに、

「自分で取りに行った方が良い」と、

智ちゃんからアトラクションを勧められた。

 

弟はわたしにとってちょっと扱いづらい存在なもので、

憂鬱な気持ちで「探したいものがあるから、家に入らせて」と連絡してみたところ、

すんなりOKの返事が来て拍子抜け。

これまでの弟との関係から、ちょっとごねるかへそを曲げられると思い込んでいたから。

そして、

実家に入ることを拒否されることが怖かったんだなーと、自分の本音にも気づく。

 

約束の日は、

弟はわたしが入ると断った部屋をそれなりに片付けて迎えてくれた。

一抱えあったアルバムを押し入れから運び出して、

車に積むのも手伝ってくれた。

 

自宅に持って帰ってきたアルバムを、1人でゆっくり見てみた。

数は多くないけれど、若夫婦に愛されている子どもが写ってた。

父や母に抱かれていたり、手をひかれていたり、膝の上に座っていたり。

 

その頃は祖父母とも同居していたから、大人4人に赤ちゃんの私一人。

「わたしは愛されてなかった」とスネていたのが恥ずかしくなるぐらい、

愛されていないはずがない現実が写真の中にあった。

わたしという存在が、この人たちに幸せをもたらしたとさえ思った。

 

他には七五三や遊園地の写真もあって。

経済的に豊かではなかったであろう若夫婦が、

節目節目に愛娘に一張羅を用意してくれていたのも伝わってきた。

それらすべてが愛だった。

 

そして、弟が写っている写真は数枚だけだった。

しかも漏れなくわたしと一緒に写ってる。

それが事実だった。

 

これまでのわたしは、

「愛されていなかった」が原動力だったから、

「愛されていた」ことを真正面から受け止めることができなかったんだ。

だから、アルバムも見られなかった。

 

「愛されていた自分」を受けいれたら、

これまで作り上げてきた自分の存在自体が揺らいじゃうもんね。

そんなこともわかった。

 

このタイミングだから、写真に写っているありのままを受け入れられたんだと思う。

そして、KAGAYAKIを受けなかったらそのタイミングはもっと後だったか、

一生訪れなかったんじゃなかろうか、と思っている。

 

「自分が愛されていた」が前提になると、

母の言動のあれやこれやの受け止め方も変わっていた。

 

母への恨みは消えて、

自分の欲しい形ではなかったけれど、

母の愛は在ったし、母の言動で傷ついた自分もいる。

 

ただ、「在る」「いる」だけの世界にいたのだった。