オシドリの里のすぐ近くにある田峯城へ初めて行きました。
江戸幕府を築いた徳川家と奥三河の菅沼家の関わりは、戦国時代のはじめ、
徳川家康の祖父、松平清康が三河地方を統一する頃からありました。
その頃、設楽町近辺は交通の要塞の地であり、東は今川氏、北は武田氏、
西は織田氏と戦国時代の大名がせめぎあっていました。
戦国時代、武田信玄が進軍してきたのも設楽町近辺であり、都への途上中、
病に倒れた信玄が病没したと伝えれる墓石も設楽町に残されています。
戦国時代の末期には、武田信玄の息子・武田勝頼が進軍して長篠で合戦が
行われましたが、このときにも田峯城が大きな役割を果たしたのです。
奥三河を領地とする菅沼氏も、徳川派と武田派に二分され、
相争うことになりました。徳川派に付いた方の菅沼一族は、
その後も存続し、旗本として幕末を迎えたのです。
〒441-2221 愛知県北設楽郡設楽町田峯城9
【ネット情報より】


梅がちらほらとはき始めています。

柿が今でも残っています。
サルもいるし、鳥もいます、なのに食べ残しているのは、よほどまずいのですね。

本丸の上段の間(御殿)には兜が展示されています。

御殿
中世戦国時代の山城 田峯城

物見台

御殿と物見台

物見台から下を見れば谷底を川が流れます。

大手門

物見台の中、階段の下から見上げています。

子供歌舞伎が行なわれた時の入選写真が展示されていました。

子供たちが素直に育っていきそうですね。

あぜぐるわ
狭い面積であることから、田峯では「なわてぐるわ」を
「あぜぐるわ」と言っています。
撮影日:2016年1月11日